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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝

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第14回山本七平賞を受賞され、100年経営の会顧問や、日本将棋連盟アドバイザーなど、多方面でご活躍されている作家・北康利先生による新連載企画です。 日本林学の父、公園の父と呼ば… もっと読む
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2021年7月の記事一覧

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #14

前回はこちら↓ 【彰義隊の本田晋】 第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (7)銓子との縁談静六に縁談話が持ち上がったのは、東京農林学校本科二年生の終わりごろ。卒業まであと二年と迫った満二二歳の春のことであった。 松野先生に呼ばれ、こう切り出された。 「彰義隊の元頭取で本多晋(すすむ)という方の一人娘に婿を取る話があるのだが、なんでも是非大学の首席をもらいたいとのことで、僕のところへ頼みに来られた。どうだ、行く気はないかね」 静六は面食らった。まだ結婚のことはまったく考え

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #15

前回はこちら↓ 【静六の義父・本多晋】 第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (8)縁談から逃げる静六一種のテレもあるのだろう。自伝『体験八十五年』の中で静六は、彼が縁談から必死に逃げ、本多家が追いかける様子を、面白おかしく微に入り細をうがって書いている。 本多家は松野先生に続いて、中村弥六教授まで引っ張り出してきた。 中村は磐梯山噴火後の裏磐梯緑化に貢献し、五色沼に弥六沼の名を残すなどしたが、後に東京農林学校が帝国大学農科大学となったのを機に大学を辞して政界に進出。第一

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #16

前回はこちら↓ 【伊豆天城山 宵の月】 第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (9)折原静六から本多静六へ静六が残した名言の中に〝三度辞して従わぬは礼にあらず〟というのがある。遠慮するのも二度まではいいが三度以上になれば相手を不愉快にさせ社交上も無益であるというのである。 だがさすがに縁談となると話は別らしく、極めて往生際が悪かった。 「卒業後、ドイツに四年間留学させるという条件を出してみてください」 追い詰められた静六は島邨夫人にそうお願いした。 縁談を断る方便のつもり

「若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝」著者・レオスメンバー座談会 (2)

前回(第1回座談会)はこちら↓ ================================== 本編――今回も第2回座談会にご参加いただきましてありがとうございます。参加者は前回と同じく本連載の作者である北康利先生、レオス・キャピタルワークス株式戦略部のシニア・ファンドマネージャー八尾 尚志、シニア・アナリスト小野 頌太郎の3名でお送りいたします。 先週公開した第16回をもって、遂に第二章が完結となりました。第二章では静六の学生時代のエピソードを中心に書かれ、静六

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #17

前回はこちら↓ 【本多静六を支えた妻銓子】 第三章 飛躍のドイツ留学 (1)強引な卒業二人が結婚した明治二二年(一八八九)当時、銓子は東京慈恵会病院の産婦人科、婦人科助手として隔日に半日ずつと、横浜のフェリスセミナリー(現在のフェリス女学院)で週二時間ずつ生理学の講義に行っていた。 それでも、いつも早く帰って来てご馳走を作り、静六の帰宅を待っていてくれた。 銓子の献身は当時の価値観で言えば、まさに〝妻の鑑(かがみ)〟であった。 銓子の蔵書が本多静六記念館に収蔵されているが

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #18

前回はこちら↓ 【本多静六、一八九〇年四月二九日にマルセイユに到着】 第三章 飛躍のドイツ留学 (2)三等船室での渡航明治二三年(一八九〇)三月二三日、この日は、前夜来の雨もあがって晴れ渡り、早くも咲き始めた芝公園の桜が青空に映えて美しかった。待ちに待った留学の日。静六の胸の高鳴りがいかばかりのものであったかは想像に難くない。 午前五時半、芝区新堀町の自宅を出て新橋駅へと向かった。 駅には松野先生以下の学校関係者、島邨家で幾何を教わった細井均先生など、多くの見送りの人が集