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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝

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第14回山本七平賞を受賞され、100年経営の会顧問や、日本将棋連盟アドバイザーなど、多方面でご活躍されている作家・北康利先生による新連載企画です。 日本林学の父、公園の父と呼ば… もっと読む
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2021年12月の記事一覧

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #36

前回はこちら↓ 【秩父 演習林】 第四章 緑の力で国を支える (6) 秩父への山林投資で大資産家に千葉演習林に続き、明治三二年(一八九九)には北海道演習林が設置された。その面積は千葉演習林の九〇倍近い約二万二七〇〇ヘクタールに及ぶ。 北海道に演習林を設置しようという話になった際、政府は同じ北海道でも広く平坦な森を推薦してきたが、静六は敢えて起伏のある場所を選んだ。 それが富良野(ふらの)の少し南にある山部(やまべ)の森であった。 富良野は近年、ドラマ「北の国から」で有名

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #37

前回はこちら↓ 第四章 緑の力で国を支える (7) 木曽山林学校明治三三年(一九〇〇)、静六はようやく教授に昇格する。 帝国大学農科大学林学科の陣容は第一講座(森林利用学)の初代教授が河合鈰太郎、第二講座(造林学)初代教授が本多静六、第三講座(林政学)初代教授が川瀬善太郎と、すべて同級生が占めることとなった。 助教授就任から教授就任まで八年もかかったのはこの陣立てを整えるためだったとも言えるが、何でも最短コースを走ろうとする彼には相当なストレスだったに違いない。もっとも、対

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #38

前回はこちら↓ 【足尾銅山】 第四章 緑の力で国を支える (8) 足尾銅山鉱毒事件明治日本の急速な経済発展は、社会に大きなひずみをもたらしはじめていた。 その一つが公害問題である。ほとんど規制のなかった当時、工場による空気汚染や河川汚染が進んだが、殖産興業を優先する政府は目をつむる傾向があった。 だが、ついに無視し得ない事態が出来する。それがわが国の歴史上最初の公害問題とされる足尾銅山鉱毒事件であった。 一七世紀後半から一八世紀前半まで、日本は銅の産出量世界一を誇っていた

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #39

前回はこちら↓ 【荒廃していた奥多摩の山々】 第四章 緑の力で国を支える (9) 東京の水道事業と奥多摩水源林(前編)東京の水道の歴史は江戸時代にさかのぼり、〝上水の水で産湯をつかい〟というのが江戸っ子の決まり文句だった。当然のことながら現在のように鋳鉄管で給水されていたはずもなく、〝上水〟とは玉川上水のような人工的な水路のことであり、江戸市内に入ったところで一部木管が使われた。 しかもそれは、明治に入ってもしばらくは江戸時代の設備のままだったのである。 やがて多摩川の水

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #40

前回はこちら↓ 【緑に溢れる現在の大菩薩嶺】 第四章 緑の力で国を支える (10) 東京の水道事業と奥多摩水源林(後編)水源林予定地は手に入った。 明治三六年(一九〇三)、まずは多摩川源流の泉水谷(いずみたに)(山梨県丹波山村)に派出所を設け、はげ山(無立木地)となっている周辺一帯に針葉樹を植栽していく計画を立てた。 このあたりの地質は風化した花崗岩で地味がやせ、海抜一二〇〇メートル以上の厳しい寒冷地でもあるため環境は劣悪だった。それでも静六は果敢に挑戦し、後にこの事業が