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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #72

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人生計画最終章の本多静六

最終章 若者にエールを送り続けて (5)
『私の財産告白』

人生計画の最終章に到達し、計画通り晴耕雨読の隠居生活を楽しむはずであった。ところが、楽隠居が必ずしも〝楽〟でないことがわかったのだ。
八〇歳近くになったが、頭も体も少しも衰えたという自覚はなく、六〇歳の頃と少しも変わらない。これは人生計画を再度立案し直す必要があるのではと思い至った。そこで以前のものを旧人生計画と呼び、新人生計画を練り直し始めた。
その結果がこうだ。
八五歳までの二〇年間をお礼奉公時代とし、過去の経験と最新の科学知識を生かして社会国家のため全力を打ち込み、八六歳になってようやく晴耕雨読、簡素な生活を楽しみつつ、後進の相談や人生指南に当たる。
つまりは〝楽隠居の先延ばし〟である。
そして人生に関する啓蒙書の執筆に力を入れていった。その中の一冊である『私の生活流儀』の中で彼は、自信を持ってこう書いている。

〈人間は老衰するから働けぬのではなくて、働かぬから老衰するのである。耄碌(もうろく)なんていうものも、働きをやめてとくに志願しさえしなければ、決して向こうから押し強くやってきたりするものではない〉

『私の生活流儀』

国家再建にも燃えていた。戦後に出した『新人生観と新生活 第三編』の中で、彼はこう述べている。

〈日本は民主主義国家として更生することになった。ここにおいて私は、覚悟を新たにし反省自粛、改過遷善、克苦耐乏以て新日本再建の指導者の一人として若返り、努力精進せんと決心した〉

『新人生観と新生活 第三編』

〝新日本再建の指導者の一人として若返り〟というところが彼らしい。
『たのしみを創る生活』『立ち上がる法』といった本を出し、暗い雰囲気の国民を鼓舞していったが、中でも大きな反響を呼んだのが、雑誌『実業之日本』で連載を開始した「私の財産告白」であった。

〈財産や金銭についての真実は、世渡りの真実を語るに必要欠くべからざるもので、最も大切なこの点をぼんやりさせておいて、いわゆる処世の要訣を説こうとするなぞは、およそ矛盾もはなはだしい〉

「私の財産告白」

と語り、資産形成のノウハウを満天下に公開したのだ。
静六が大学に奉職しながら資産家への道を歩み始めた頃、義父の晋からやめておくように忠告され、同僚の大学教授から嫉妬を買ったりしたことについては先述した。だが八〇歳を超えて人生を顧みれば、やはり二兎(にと)を追ったことが自分の人生を豊かにした。自分の成功体験を、今こそ多くの人々に共有してもらいたいと考えた。
「私の財産告白」は連載当時から評判を呼び、昭和二五年(一九五〇)に単行本となると一気にベストセラーになった。
一代で日産コンツェルンを築き上げた大実業家の鮎川義介(あゆかわよしすけ)も手に取り、
「いやまったくたいしたものだ」
と感心したという。
財産を失ってどん底の生活をしていた日本人に、この本は夢と希望を示したのだ。

人生相談にも力を入れた。六五歳頃、朝日新聞に投書したのがきっかけで、三年ほど同紙の身の上相談欄を担当していたことがあった。これが大変好評だったのだ。
戦後、これまで以上に人生に悩む人が増えたこともあってひっぱりだこになり、『キング』『婦人倶楽部』『主婦の友』といった雑誌で人生相談のコーナーを担当するようになっていった。
振り返ってみれば、学生時代に新家先生から天源淘宮術を学んで以来、人生いかに生きるべきかをずっと突き詰めて考えてきた。そして気づいたことは例の手帳にメモしてきた。そういう意味では、人生相談は得意分野だったのだ。
そのうち、それらをまとめて『人生案内 実話身の上相談』などとして発刊していく。
すると雑誌のコメント欄を飛び越え、直接、身の上相談の手紙が届き始め、ついには来訪があったりもするようになった。

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