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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #56

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永遠の森56

【秩父のセメント工場】

第五章 人生即努力、努力即幸福 (2)
秩父セメント

静六と秩父には、山林だけでなくほかにも深い縁があった。それは渋沢を通じて諸井恒平という同郷の異才と友誼を結ぶことができたからである。
諸井は四歳年上。河原井村よりずっと北西で群馬県との県境になる児玉郡本庄宿(現在の埼玉県本庄市)の出身だ。家は士族であったが、度々火災に見舞われ、家運は傾いていた。幼少期から苦労し、独学を重ねることとなる。
その後、遠い親戚にあたる渋沢の招きで、彼が郷里の深谷に設立した日本煉瓦製造に入社したところから運が開けた。
同社は明治二〇年(一八八七)に創業された我が国初の機械式レンガ製造工場だ。東京駅はじめ明治・大正期のレンガ建築を多数生みだし、産業振興に大いに貢献した。諸井は同社の支配人から専務取締役へと順調に昇進し、渋沢の厚い信頼を得ていた。埼玉学生誘掖会に賛同してもらったのはこの頃のことである。  

そして明治四〇年(一九〇七)、静六が六度目の海外視察旅行から帰国した時のこと、例によって渋沢から声がかかり、飛鳥山の別邸での夕食会に招かれた。
渋沢は一人で聞かず、製糸王大川平三郎や植村澄三郎(ちょうざぶろう)(札幌麦酒専務)、服部金太郎(セイコー創業者)などといった見識のある人物を数人同席させるのを常とする。この時招かれていた客の一人が諸井だった。
会食に先立って、渋沢は静六にこう頼んできた。
「今日は埼玉県の有力者が多い。欧米視察の新知識をもとに埼玉県の産業振興策について話してくれんか」
故郷愛旺盛な静六にとって願ってもないことだ。いつも以上に気合いを入れて語りはじめたのはいいが、それがとんでもない内容だった。
「すでに欧米では、従来のレンガ建築が鉄筋コンクリートに取って代わってきており、レンガは単に装飾用に貼り付けるくらいになっております。諸井さんのレンガ会社などは、速やかにセメント会社に事業転換するべきだと考えます」
これまで埼玉県の産業振興の旗振り役となってきた日本煉瓦製造を、なんと時代遅れだと指摘したのだ。
「材料としては秩父武甲山の石灰岩がうってつけではないかと考えます」
最後にそう付け加えた。
渋沢も諸井も感情に流されない柔軟で論理的思考の持ち主である。腹を立てるどころか、この話を聞いて奮い立った。
そもそも秩父は深谷の南西に位置しており、武甲山は距離にして二、三〇キロ程度しか離れていない。そこが石灰岩質の山だということも、おそらく同席していた埼玉県人のほとんどが知っていたはずだ。それだけ石灰岩が身近なものであったことは、彼らのやる気につながった。
その後も静六にアドバイスを求めながら、諸井たちは大正一二年(一九二三)一月、秩父セメント(現在の太平洋セメント)を設立する。
諸井は後に〝セメント王〟と呼ばれるようになるが、渋沢と静六の協力なくしては、煉瓦会社の経営者のまま先細りとなっていたかもしれない。
時代もセメントを必要としていた。関東大震災でレンガ建築が次々に崩壊し、その脆弱性が明らかとなったのだ。その後、政府の奨励もあってコンクリート建築が増え、秩父セメントは急成長を遂げていくのである。

静六の手柄話と言っていいエピソードだが、やはり成功の鍵は渋沢栄一の偉大さにあると彼は痛感していた。
静六は渋沢を友人の後藤新平と比較してこう述べている。

〈後藤が大風呂敷なら、渋沢さんは小風呂敷であった。(中略)渋沢さんの小風呂敷は、みんなに儲けを分けてやるための小風呂敷であったのである。あるいは見様によっては、そうした小風呂敷をいくつも包み込んでいた一種の大風呂敷であったかも知れない。いずれにしても、渋沢という人は、他者の話をよくきいた。そしてよく検討した。そしてよく実行した〉
(『本多静六体験八十五年』)

大隈重信も静六の話をよく聞きたがったが、彼の場合は新知識がお目当てで、やがてそれをまるで自分が見聞きしたもののように周囲にひけらかすのを常とした。
だが渋沢の場合、わが国でも事業化できるかどうかが鍵であり、その観点から徹底的に質問する。そして重要だと思った情報は、片っ端から逃さぬよう自分の風呂敷に包み込んでしまうのだ。それは実に見事なものだった。
質問される側も真剣に聞いてもらえるから話しがいがあり、とっておきのネタを出してくる。静六がステッキやベルトに目盛りをつけるようになったのは、あるいは渋沢の質問攻めに応えるためだったのかもしれない。
感心するのは、いかに儲かりそうな話であっても、公益につながらないとわかると取り上げないことだ。しかも利益を独占しようとしない。
「これでは他の人が儲けすぎではありませんか」
と忠告しても馬耳東風。
「みんなで儲かればそれでいい」
と言って超然としていた。
まさに尊敬に足る郷土の偉人だった。

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