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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #71

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海から見える大室山

最終章 若者にエールを送り続けて (4)
希望を失うことなく

そして迎えた敗戦。八月一一日に七九歳を迎えたばかりであった。
幸いにも渋谷の家は戦火を免れ、伊東の歓光荘も無事であった。
だが戦時中から続いていた食糧不足は一層深刻になり、猛烈なインフレが来襲する。
物資は闇市に行かなければ買えないという混乱の中、それでも静六は博夫婦に頼ることなく伊東で頑張っていた。静六の言葉に〝独立自強〟というのがある。他人の厄介にならず独立生活してゆく人のことである。晩年まで彼はそれを貫いたのだ。
だが台所は火の車だ。
秩父の山林など財産のほとんどを寄付した後も、いざという時のために株券を一〇〇万円(現在価値にして約五〇億円)ほど残していた。横浜正金銀行などの超優良銘柄だった。ところが敗戦によって横浜正金銀行は閉鎖機関に認定され精算。株券は紙くずとなってしまった。
おまけにGHQが富裕層を標的として課した財産税が数十万円と非戦災者税の支払いなどがかさみ、貯金も払底。今度こそ蓄えが尽きてしまった。
だが食糧は、庭の野菜だけで自給できる。もっと悲惨な境遇の日本人は山ほどいるのだ。愚痴を言っている暇はない。もう一度、冷静になって資金繰りを見直すことにした。
恩給が年に七万円少々ある。その四分の一を貯金し、貸家、貸地収入約三万円のほか、原稿料などの副収入は原則通りすべて貯蓄に回した。インフレの影響を受けるだろうが、いつまでも続くわけではあるまいと割り切った。
実際、昭和二三年(一九四八)には戦前の一〇〇倍を超えるハイパーインフレだったものが、翌年(昭和二四年)のドッジ・ラインの開始で一気に収束してデフレになっていく。そして昭和二五年(一九五〇)に勃発した朝鮮戦争による戦時景気で日本経済は立ち直っていく。
(うまくすれば、また洋行したり寄付したりできるようになるじゃろう)
こういう時こそ、努めて楽観的に考えようとした。
すでに彼は海外渡航一九回に及んでいる。北はシベリアの果てから南はオーストラリアや世界一孤立した有人島と呼ばれる絶海の孤島トリスタンダクーニャ島(南大西洋の英国領)にも足跡を印し、台湾の玉山登頂に挑戦し、アルプスやロッキーはもちろんアンデスも踏破。アフリカにも二回行っている。
自分でも書いているが、おそらく当時の日本人で一番の大旅行者であり冒険家だったはずだ。
それでも彼はまだ海外に行きたかった。八〇近くなってなお、将来に夢を見ることが生きる希望につながったのだ。 

戦時中の戦争協力に対する反省もあったのだろう、昭和一七年(一九四二)に歓光荘に移り住んで以来、ほとんど外出することもなく、文字通り隠棲していた。
だがそんな彼に転機がやってくる。それはNHKのラジオ放送への出演だった。
昭和二三年(一九四八)七月二〇日、国民の祝日に関する法律の施行により、九月一五日が敬老の日と定められた(現在は九月の第三月曜日)。その最初の敬老の日にふさわしい講話をして欲しいと依頼されたのだ。
この時、彼は〝働学併進(どうがくへいしん)(日々働き、学び続けること)〟の大切さを強調し、
「この日を単なる敬老慰老の日に終わらせてはならない。私はこれを是非、老人奮起の日、老人若返りの日として、どこまでも積極的な意味をもたせてほしい」
と熱く語ったのだ。
そして彼自身も〝奮起〟することにした。
「昭和二四年(一九四九)の四月一日から講演活動を再開する!」
そう高らかに宣言したのだ。

すると、とんでもないことが起こった。四月だけで三七本もの講演依頼が殺到し、その合間を縫うように来訪者が列をなしたのだ。静六の人気がいかにすごかったかが窺える。
だがもう八三歳だ。さすがに疲労困憊。きわめて良好であった血圧がいきなり一七〇台にはねあがった。
娘たちは泣きながら、
「もう講演はやめてください!」
と哀願した。
だが静六は相変わらず頑固だ。
「活動再開を宣言したからには簡単にやめられん!」
と言って聞かない。
そこで娘たちは知恵を絞り、以下の条件を結ぶことで妥協した。
「伊東市以外の講演は天気のいい時に限り、かつ隔日で休養をとることとする。同伴者に荷物を持たせ、自分は杖しか持たない。旅行中はその地の名物などをしっかり食べる。一度に続けて三〇分以上話しをせず、合間に二、三分ずつ原稿を代読させる。トータルで三時間以上講演しない。一日に二回以上講演しない。歓光荘にいる時も、朝食前と夜一一時過ぎの来客は謝絶し、毎日一時間以上の昼寝を励行する。昼夜とも湯たんぽ等で足を冷やさないよう気をつける」
最初は〝やかましい制約〟だと思っていたが、このルールを守った結果、なんら疲労を感じなくなり、むしろ若返ってきたとさえ感じるようになった。
さすがは静六と銓子の娘たちである。

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