理想の街を作りながら暮らす。私たちの生活が街や社会に与える"可能"性
バンドマンで投資家のヤマザキOKコンピュータさん(ヤマコンさん)による連載の第4回です。
今回は「街の多様性」について語っていただいています!
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当コラムでは、働き方やお金の使い方を中心に、自分の生活を通して社会にアプローチしていくことについて触れてきた。今回はもう少しだけ範囲を広げて、私たちが住む街、身体の置き場所について考える。
理想の暮らしを探しにいく
2017年の冬、神戸港から船に乗り、上海に向かった。
波に揺られること50時間。スモッグに覆われた街を抜け、いくつもの山と川を越え、あらかじめ目星を付けておいた5か国、20以上の都市をまわり、理想の住処を探す旅に出た。
当初は漠然とした想像を頼りに渡り歩いていたが、いろいろな景色を見て、世界各地の人と触れ合ううちに、どんどんイメージが固まってきた。
その後、日本に帰ってきてからは東京や福岡の街を転々とし、ここ1年ほどは沖縄県中部で大人しく暮らしている。
社会的な状況も影響して、当初想定していたものとはまるで違う生活を送っているが、これはこれで良い。
この島にいる限りは花粉アレルギーが発症しない。年間通して体調が良いなんてことは人生でほとんど経験してこなかったので、本当に嬉しい。
私たちはアレルギーや体質以外にも教育や世代、消費の嗜好、ジェンダー、エスノシティなど様々な変数を抱えて生きているわけで、街に求める機能も人によって違う。さらに時代も気持ちも移り変わるから、心地よい暮らしを送り続けるにはなるべく現時点での理想に近い暮らし方を見つけて、その都度自分自身と相談しながらカスタムしていくことになる。
ただ、人が街に求めることは普遍的な点においては、ある程度の共通項があるはずだ。
ここで一旦、街から離れて、自然に目を向けてみよう。
理想的な森は、多様性なくして成立しない
自然界において理想的な森林というのは、おおよそ形が決まっている。
理想的な森林の条件
・植物の種類や世代(幼木・若木・成木)が様々である
・樹冠(森の最上部の枝葉の層)が高く、階層的な構造が発達している
・密集しすぎず、見通しの良い空間が保たれている
・森林の中では日光が緩和され、適度な光が点々と地面に届く
・風が緩やかに流れ、夏は涼しく冬は暖かい
このような条件をクリアした健康的な森林では、動植物やキノコなどの菌類、微生物など、多種多様な種類の生き物が共存する。この状態は極相(きょくそう)といって、長期間にわたって様々な生物が入れ替わりながら動的な均衡が保たれる。
逆に、一部の植物が支配的に生い茂るヤブなどは、遠目から見て同じく緑色に見えたとしても、健康な状態とは言いにくい。
他の植物が入り込む隙間がないほど過密化が進むと、そこに住まう生き物や土の質も偏って多様性が失われる。地上では同じ高さで光を奪い合い、地中では同じ深さで水や養分を奪い合う。やがては荒れて果てて、次の環境へと遷移(せんい)していくことになる。
これは自然の中に限らず、私たちが住む都市の環境においてもかなり近いことが言える。
住む街の多様性を意識する
前回書いたとおり、私は沖縄県沖縄市の"コザ"と呼ばれる地域で小さな喫茶店を経営している。
この街は戦後の復興とともに音楽の街として栄え、かつては人で溢れかえっていたものの、1990年代頃を境に急激に賑わいを失っていったという。実際、私が初めて訪れた2011年にはすでにシャッター商店街の様相であった。
30年以上続いているような老舗の店や古い建物たちはさすがとしか言いようのない爆裂パワーでいまも地に根を張っており、街全体に独特の空気を漂わせているが、現在は空き店舗が多く、廃墟寸前の物件も目に付く。
最近はある程度さびれきって家賃が落ち着いたせいか、若い人がテナントを借り始め、新しくて面白い店がちらほら出始めている。このまま環境がうまく遷移していけば、コザの街にも新たな活気が生まれる可能性もある。
その一方で、数年前にできたという隣町のショッピングモールは、まるでお城みたいに大きくそびえ立っており、とんでもない広さの駐車場にどんどん車が入っていくのが見える。
飯も娯楽も買い物も、大半の用はそこで済むらしい。
この地域は米軍基地や貧困の問題など、複雑な事情を多数抱えているので一口に説明できるものではないが、コザの街で昼間の人通りが年々減っているのは、こうした大型商業施設の影響も少なからずある。
私たちのお金の使い方次第では、せっかくできはじめた新しい店たちも、昔からある老舗たちも、何もかもなくなってコンビニエンスストアのヤブしか残らないという未来もあり得る。
大資本の大型施設によって街の機能が集約されていく傾向は、この街に限ったことではない。
国内の地方都市はどこも同じような状態にある。アジアやヨーロッパ、アメリカでも同様の傾向を見てきた。
この大きな流れによって、街のお店はぐんと減るけど、雇用や消費は増えるので、経済規模は短期的に膨らむ傾向にある。とはいえ、働き方や暮らし方の選択肢は着実に失われていくわけで、私たちは数字で見えにくい部分にダメージを負う。
自著「くそつまらない未来を変えられるかもしれない投資の話」ではお金を血液に喩えたが、血の総量や巡る早さがどれだけ優れていても、一部にばかり流れて身体の隅々まで行き届いていないのならば、それは健康とはいえない。
また、商店街を駆逐してきた大型商業施設も、超大型ネット通販によってその座を奪われる可能性は十分にある。もしショッピングモールまで駆逐されてしまったら、街はヤブを超えて荒地に遷移する。荒地からやり直すのも楽しそうではあるが、高齢者や国外移住者など、繰り返される遷移について行きにくい人もいる。
都市には様々な人が暮らしているので、多くの人にとって住みよい街であるためには、健康な森林と同様、多様性を受け入れられる器が求められる。
誰もが街や社会へアプローチすることができる
〈ベジタリアン・ソサエティ〉
タイのチエンマイという街でマンションを借りて暮らしていたとき、街から少し外れたところにベジタリアン・ソサエティという施設があった。
ここでは、ご飯が無料で食べられる。
お盆を持って列に並び、自分で盛り付けていって、食べ終わったら食器は自分で洗って戻すシステム。
テーブルには野菜や豆類を使った料理が10種類ほど並んでいて、好きなものを選んで盛り付けていく。
基本は玄米とおかず1品で、ここまでは無料。おかずを2品や3品乗せたい場合は有料となる。
有料(当時70円くらい)のラーメンや、100%のフルーツジュース(20円くらい)などもあり、お金を払いたい人は払える仕組みになっている。
このベジタリアン・センターは仏教系の慈善団体が運営している施設だが、別に勧誘されるわけでもなければお経を読まされることもなく、誰にでも開かれた場所であり、チェンマイの街の一部として十分に機能しているように見えた。
〈グリーン・ゲリラ〉
長らく放置されている花壇や土のある一角などに花や野菜を植えるカルチャーが世界中で普及している。グリーン・ゲリラというやつだ。
景観をよくしたり、食料を提供したり、コミュケーションの一助にすることが主な目的としている。
イギリスのトッドモーデンという街では、2008年ごろから住民たちが街中に野菜を植えている。
食べられないトゲトゲの植物などを刈り取り、日照りの少ないイギリスでもよく育つハーブや葉野菜を植えて、育てているらしい。私が観た動画では、街中に野菜やハーブが生えており、観光客などがその景色を見にきたり、地元住民が自由に摘んで持ち帰っていく様子も見られた。
基本的に、グリーン・ゲリラが勝手に植えた野菜たちは誰でも勝手に食べて良いことになっている。地域住民や通行人、観光客など、すべての人に対して無料で解放されているものだ。もちろん、スーパーや八百屋もあるので普通に買いたい人はそちらを買えば良い。
実はコザにも、路上野菜解放戦線という名前で活動する、正体不明のグリーン・ゲリラが存在する。
沖縄市のパークアベニューを中心に、手入れのされていない花壇やプランターを無断で耕し、野菜やハーブやフルーツを育てている。当然、路上野菜解放戦線の作った野菜はあらゆるすべての人間に解放されているので、勝手に食べて良いらしい。
路上野菜解放戦線は、街に無料で食べられる野菜が溢れていれば、社会や個人の生活システムが破綻した際のバックアップとして機能すると考えている。今のところは小規模だが、この先どうなっていくかわからない未来への備えとして、誰もが最低限の食品を無料で確保できるシステムの構築を目指している。
このような活動は一見何の得もないように思えるが、トッドモーデンの例では観光者の増加にも一役買っている。街の多様性を守ることに繋がっていたり、自分たちが生きやすい環境を作る助けになったり、目に見えにくい部分でも様々なリターンが期待できる。そういう意味では、未来の自分のための投資と言える。投資のリターンというのは、必ずしもお金だとは限らない。
上述のベジタリアン・ソサエティも、グリーン・ゲリラも、どちらも民間の個人または団体によって運営されている。これらの例は多少極端であるにしても、個人が街に影響する力は想像以上に大きい。
また、民間企業の中には、ビジネスを介して街に多様性をもたらしてくれる企業もたくさんある。
私たちは日々暮らしていく中で、買い物や投資を介して、こういった企業に間接的な支援を行うことで、社会に影響を及ぼしている。社会を変えると言ったらまるで特別な、大きな話だと思うかもしれないが、自分が住む街やもっと小さな範囲に絞れば、私たちの行動は少なからず影響している。
次回のコラムでは、このあたりについて詳しく触れたい。
プロフィール:
ヤマザキOKコンピュータ
1988年生まれの投資家・文筆家・ウェブメディア運営者。
バンド活動を続けながらライブハウスで働いた経験などを元に、パンクの視点からお金を考える。お金に関するウェブメディア『サバイブ』や、オルタナティブスペース『NEO POGOTOWN』の運営に携わる。
著書『くそつまらない未来を変えられるかもしれない投資の話』(タバブックス)
サバイブ:https://www.survive-m.com/
Twitter:https://twitter.com/0kcpu
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