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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #02

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永遠の森2

プロローグ 永遠の森 (2) 

本多はいわゆる生来の天才ではなかった。秀才でもなかった。ひたすらに努力の人であった。「人生即努力、努力即幸福」という彼の言葉が、そのことを雄弁に物語っている。幼いころの勉強嫌いを克服し、圭角(けいかく)のある性格を矯正し、早くに人生計画を立て、よい習慣を身につけて実践していった。
彼の造林学と人生計画には似通ったところがある。まずその環境に適した森林の理想型を頭に思い巡らす。寒冷地に暖帯の木を植えても早晩枯れる。自分の能力や環境を考えた上で、理想的にことが運んだ場合の目標を設定し、後はひたすらそれに向かって努力する。
その計画性と克己心の強さは類を見ない。資産形成についてもそれは発揮され、四分の一天引き貯金を実行。その強い意思の力で大資産家になった。
投資は金銭面だけとは限らない。彼はまさに人生に投資し続けた人であった。
健康にも留意して長命を享受し、晩年には積み上げた資産をぽんと寄付してしまった。「児孫(じそん)に美田(びでん)を残さず」という西郷隆盛の言葉があるが、それを実践できる人はきわめて少ない。
ただならぬ偉人であることから、かの広辞苑の編集者も収録の必要を感じたらしく〝本多静六〟という一項を設けている。

そして晩年、彼が自らの蓄財術を公開した時、世間は驚嘆した。
象牙の塔にこもり自らの権威を高めることに日々務めている東京帝国大学の教授が、この種の本を出すことなど考えられなかったからだ。この規格外れの行動こそ、彼が自分の生き方にいかに自信を持っていたかの証明であろう。
社会的地位の高い人間ほど、発言や行動に慎重である。コロナ禍でこの国が大きく揺れていたとき、東大や京大の教授がほとんど発言していなかったことは記憶に新しい。ささいなことでも社会的地位は容易に失われる。もうこれ以上は望めない場所にいる人間が冒険するのは危険でしかない。
しかし本多静六は躊躇しなかった。大変な資産家となったノウハウを著作や講演で惜しげもなく開陳している。
それは、彼がこの国を〝永遠の森〟にしたかったからではないだろうか。

彼の行動も、話す内容も、著作も、実に理路整然としている。それは彼が授業のエッセンスをまとめて箇条書きにし、再度頭に入れるという〝エキス勉強法〟を若い頃から習慣にしていた賜物に違いない。
彼がその人生で書いた本は三七六冊。ただ数が多いだけではない。言葉に魅力があり、人々の心を鼓舞する名言を数多く残している。
名言というものは、人生の英知と文章力とが合致したところで生まれる。そういう意味では、彼が多くの名言を残したのは当然の帰結であった。
本連載ではそうした名言も極力挿入していくつもりであるが、ここでそのいくつかを紹介しておこう。

――独立自強。まず自分を確立せよ。
――感謝は物の乏しき(不十分)にあり、幸福は心の貧しき(恭謙)に存すると悟って、あらゆる場面に満足し、感謝することを覚えること。
――どんな人間でも好きになること。
――三度言ってきかない時は(説得を)止める。
――人を叱る場合には、その人の長所をあげてから。
――会議では、まず人の説を聞いてから。
――報酬は関係者に分配
――真を求め、善を行い、美を味わう。
――時々寝転んで大の字になり、思い切り手足を伸ばす。
――俸給生活者で貯金をせず、贅沢な生活をする者、特に花柳のちまたに出入りする者は早晩必ず収賄その他の悪事を働くものと断定して、決して誤りがない。
(『私の体験成功法』本多静六著)
――金というのは重宝なものだ。ところが、世の中には、往々間違った考えにとらわれて、この人生に最も大切な金を頭から否定してかかる手合いがある。
――人生の最大幸福は職業の道楽化にある。富も、名誉も、美衣美食も、職業道楽の愉快さには比すべくもない。
――「天才マイナス努力」には、「凡才プラス努力」のほうが必ず勝てる。
(『私の財産告白』本多静六著)
――人は学校をもってのみ物を学ぶ機会と考えているが、人生、学校で学び得るぐらいは知れたもの、職業の精進によって初めて本当の人格は磨かれ、広汎的確な生きた知恵を獲得することになるのである。
――世の中には、濡れ手で粟をつかむような旨いことがそうザラにあるわけのものではない。手っ取り早く成功せんとする人は、また手っ取り早く失敗する人である。
――蓄財を通してわれわれは色々の蓄積法を学ぶ。力の蓄積、知識体験の蓄積、徳の蓄積等はそれであって、金銭の場合よりはむしろ、この蓄積のほうが大事な場合がある。
――希望こそは人生の生命であり、それを失わぬ間は人間もムダには老いない。
(『人生計画の立て方』本多静六著)

本多は晩年書いた自伝のタイトルを『本多静六自伝 体験八十五年』とした。
実は私が評伝においてしばしばその人物の幼少期から書きはじめるのも、その人物の人格形成の裏にどういった〝体験〟があるかを知ることがきわめて重要だからだ。
本多静六の人生は、時代の振幅が現代より大きかった当時にあっても波瀾万丈という言葉がふさわしく、常人のできない〝体験〟に満ちている。彼の行動や言動が常人のそれと大きく異なる背景には、そうした〝体験〟があるのは間違いあるまい。
人は一人では生きられない。本多静六もまた、多くの人の支えを得ている。祖父、両親、兄、良き師、良き友、良き妻……。素晴らしい人たちが自然と彼の周囲に集まった感さえある。そういう意味では、実に幸運な人であった。
『体験八十五年』の自序の中で彼は自らを〝一平凡人〟だと繰り返しているが、本連載はその〝一平凡人〟が、実に非凡な人生を送ることになる道のりをたどることで、彼が行った人生への投資を追体験し、豊穣なる〝永遠の森〟を読者の心に再現していこうとする試みである。

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