上場審査への道のり。「人」がつくる株式市場の裏側(前編)
こんにちは、ひふみラボ編集部です。
レオス・キャピタルワークス株式会社が東京証券取引所グロース市場に上場して約半年が経ちました。上場後に株主になってくださった方も多いと思います。
投資信託ひふみシリーズを通して、これまで私たちを支えてくださった多くのお客様に加え、新たに株主になってくださった方に感謝の気持ちをお伝えするとともに、これから株主になろうと考えている皆様にも「なぜレオスは上場したの?」「上場するってどういうことなの?」ということを知ってほしい。そして株式市場の魅力や面白さをお伝えしたいと考えています。
皆さんは株式市場にどのようなイメージを持っていますか?
ニュースやSNSで見かける情報は「数字」や「チャート」が多く、とっつきにくい印象があるかもしれません。
今回はレオスで上場の実務を担当したメンバーに、どのように東京証券取引所の上場審査を乗り越えたのかをインタビューしてきました。
そこから見えたのは、意外に泥臭く、熱量をもって働く人の姿です。
上場審査については社内でも情報統制があって、上場するまで限られたメンバーしか関わることができませんでした。経験者しか語れないその仕事について、2回にわたってお届けします。
上場チームリーダー
中川 渉行(ナカガワ タカユキ):管理本部 本部長CFO 兼 経理財務部長
2018年10月入社。経営企画&広報・IR室(旧)として上場チームを牽引。前職は日本取引所グループで東京証券取引所の上場審査を担当していたことから、その当時のエピソードも話してくれた。
上場チーム
仲岡 由麗江(ナカオカ ユリエ):広報部長
2021年8月入社。経営企画&広報・IR室(旧)で上場の実務を担当。上場前の約半年間は、過酷なスケジュールと緊張感から、ただならぬオーラをまとっていたという噂があった。
上場チーム
田村 啓樹(タムラ ヒロキ):マーケティング部兼経営企画部
2021年11月入社。経営企画&広報・IR室(旧)で上場の実務を担当。仲岡とともに、膨大な審査資料作成に携わった。
経理財務担当
髙橋 修(タカハシ オサム):監査役
2008年7月入社。創業間もない時期から、経理財務の担当者としてレオスを支えてきた。2014年頃から本格的に上場準備を開始。2018年の上場中止を経て、2023年にようやく上場を果たしたことにほっとした様子だ。
上場までの道のり
――冒頭に、簡単ですが上場までのステップをご紹介します。
1 主幹事証券会社の選定
2 主幹事証券会社による事前審査
3 東京証券取引所の審査
4 機関投資家ロードショー
5 株式の公募価格決定
6 公募株式代金の入金
7 上場
大まかに、このような過程を経て企業は株式市場(東京証券取引所等)に上場します。このシリーズでは主に2~4のパートについてお話します。
再出発
――レオスは2018年に一度、上場を取りやめた経緯があります。ちょうどその頃に入社した中川さんは、2023年までの約5年間どのようにチームをつくってきたのでしょうか。
中川:私は上場後にIRを担当する予定で、2018年の10月にレオスに入社しました。ところが、その年の12月に上場するはずが直前で中止になり、入社早々「社内失業」してしまいました。もちろんそこで上場するのを諦めるのではなく、いつか実現するという意志はあったので、じゃあ課題を整理しようかとやっていたら上場チームのリーダーとして皆さんを引っ張る存在になっていました。社内失業したままでは困りますしね。
レオスは私が入社するまでに上場できる体制ができていたのですが、管理面で課題があったので、2019年以降はさらに上場企業としてふさわしい体制づくりを進めていったのです。主幹事証券会社を変更したので、あらためて証券会社の担当者に当社の事業内容などを説明する時間も必要でした。
私が気にかけたのは、上場するからといって当社の「挑戦する社風」をなくしてしまいたくなかったという点です。上場企業にはさまざまな管理体制が求められますが、だからといって「上場のために我慢しましょう」というようなことは極力したくなかった。一例ですが、当社はフルリモートの勤務体制を採り入れて、多様な人材が活躍できる職場を実現しています。一方で労務の面からは、勤務時間をきちんと管理する仕組みづくりが求められます。すると、当社らしい働き方を活かしつつ、どうやって審査基準に対応していくかが課題となります。そうしたところは主幹事証券会社や東証の担当者と相談しながら議論して、納得してもらえるような仕組みをつくっていきました。上場がゴールではないので、「上場のために何か(無理を)する」というのはよくないかなと思います。逆に言えば、上場後も続けていけることは審査の時点で見直してよいかもしれませんね。
仲岡:チームリーダーの中川さんは大変だったと思います。経営理念や会社としての理想はありつつ、主幹事証券会社からは「利益が上げられるのか」「前年より成長できる会社であるべき」というプレッシャーがかかります。成長ストーリーをどう言語化するか、具体的にどうやって利益を出すのか、そのためにどういう施策をするのか、株主や投資家に説明できなければいけません。経営陣や本部長と話し合いながら、中期経営計画とエクイティストーリーをつくっていきました。そして一度開示をするとそのストーリーに沿って業績を出していかなければいけないので、「これから私たちはどうしたいのか」を真剣に考える機会となりました。
証券会社の審査
――上場審査とは、具体的にどのような準備をするのでしょうか。
仲岡:私は2021年に入社し、上場チームに参加しました。上場までの全体スケジュール管理や、主幹事証券会社・財務局窓口、ドキュメント作成・進捗管理、サイト構築など、実務を担当しました。
東証審査の前の段階で、企業は証券会社の審査を受けることになります。証券会社は新規上場を目指す企業のパートナーとなり、上場にふさわしい体制となるよう準備を手伝う役目を担っています。その審査がどのようなものかといえば、本当に大変でした…。幹事証券からは、当社の事業や管理体制について1回につき100問くらい質問がくるのです!もちろん一人では答えられないので担当部署に割り振って回答を作成し、まとめて返信します。社内だけではなく、社外取締役に連絡して回答をもらうこともありました。返信までの期限も短く、数日のスケジュールなのです。最短では2日で返信するケースもありました。それが3~4回繰り返されます。
この時、回答を作成するために総務部や人事部、システム部、運用部、営業部などの社内の多くの皆さんにも協力してもらって、本当にお世話になりました。
証券会社も株式公開を引き受ける責任があるので、事前準備としてかなり質問をするのです。そうしなければ、東証の審査にはたどり着けません。証券会社の担当者とは毎日何十回も電話・メールをして、お互いに余裕がないから今ではちょっと考えられないような粗暴な口調での会話をしていたと思います。
そして証券会社の審査が終わると、いよいよ東証の審査に入ります。そこでもまた、1回あたり80問くらいの質問がやってきて、会社の成長ストーリーや人事・コンプライアンスなどの管理体制について聞かれます。1回の回答が100ページに及ぶこともあって、上場までの半年間はとにかく物量をこなしていたイメージです。IPOって何だかスマートでカッコいいイメージがあるかもしれませんが全然そんなことはなくて、膨大なドキュメント作成を必死にやる毎日でした。特に東証審査、有価証券届出書などの校了前は限られた時間の中でミスが許されないという緊迫感があり、精神的にも本当に大変でした。
そんな私の様子を見て、他部署のメンバーは「そっとしておこう」と思ってくれていたようです。上場チームの仕事内容は社内で共有することができないので、端から見れば何をしているか分からないけど大変そうだ、という印象だったのでしょう。
精神的にも体力的にもハードな時期に、頼れるチーム長の中川さん、同僚の田村さんやチーム内で唯一の上場経験者である髙橋さんの存在はとても頼りになりました。
髙橋:上場チームのメンバーはとてもよい雰囲気だったと思います。ただ業務は大変な面もあるので、各人の体調や「負担になりすぎていないか」といったところは注意して見るようにしていました。
――髙橋さんご自身は、経理財務面の全般を担当していたということですが、詳しく教えてください。
髙橋:ご存知の方もいらっしゃると思いますが、上場企業というのは法令に基づき定期的に決算内容を開示することが義務付けられています。レオスは2014年頃から上場準備を進めてきたこともあって、開示のための社内体制は一通り整っていました。しかしながら2018年に一度、上場を断念します。その後いつ上場するのかわからない中で、少ないメンバーで四半期決算を行なう体制を維持することが大変でした。
特に、人材採用には苦労しました。一時的に産休に入るメンバーもいたので、その間なかなか採用が決まらなくて…。でも最終的には素晴らしい人に巡り合うことができ、妥協せずに採用活動を続けてよかったと思っています。
――これまでの上場の経験とは、どういったものでしたか?
髙橋:最初の準備期間(2014年頃)については、J-SOX(内部統制報告書)の対応や経理財務まわりの基礎づくり、社内規程整備、監査法人対応、上場までのスケジュール策定など全般的に担当していました。土台づくりという意味では4年くらいかかったと思います。最終的には今回と同様の証券会社と東証の審査対応も、一通りやっています。
さらに遡ると、前職での経験があります。1996年に旧大阪証券取引所(現:大阪取引所)の第二部に上場する機会があり、その時には経営企画部の立ち上げから行いました。その後、東証一部に上場することになってIR業務をこなしながら事業計画の作成、審査対応を担当しました。
この時一番大変だったのは、1995年に阪神淡路大震災が起こったことです。当時勤めていた会社が被災して、コンピュータルームにある上場に必要なデータの一部が消えてしまったのです。しかし、震災によって上場のスケジュールが変更されることはありませんでした。なんとか必要な書類を作って期限に間に合わせたのですが、もう本当に苦労しましたよ…。
仲岡:私は今回、期限ギリギリのタイミングでEDINET(エディネット)に登録ができない事案が発生して慌てました。チーム皆で手分けして調査し登録が間に合い、「さて次だ!」と思って東京証券取引所の記者クラブへ書類の投げ込みに向かったら、必要な書類を間違えて持ってきてしまって。それで同僚に頼んで、急いでタクシーで届けてもらうということもありました。
上場するまで何が起こるか分からなくて、何か起きた時にどう対処するかという瞬発力が試されているような気がします。世の中には何度もIPO(新規上場)を経験する人がいますが、本当にタフですよね。山頂を目指して困難を乗り越えていくのが好きな人には向いているのかもしれません。そして何より、緊張感や重圧をわかりあえる仲間がいることが大事なのだと思いました。
――インタビューを通して、上場までの道のりやチームの協力体制など想像していなかった状況を聞くことができました。改めて、社内で人知れず頑張っていたメンバーに感謝したいと思いました!
次回は機関投資家とのミーティング(ロードショー)の話や、中川が東証勤務時代に経験したこと、レオスの今後についてお話していきます。ぜひご覧ください。