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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #15

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永遠の森15

【静六の義父・本多晋】

第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (8)

縁談から逃げる静六

一種のテレもあるのだろう。自伝『体験八十五年』の中で静六は、彼が縁談から必死に逃げ、本多家が追いかける様子を、面白おかしく微に入り細をうがって書いている。
本多家は松野先生に続いて、中村弥六教授まで引っ張り出してきた。
中村は磐梯山噴火後の裏磐梯緑化に貢献し、五色沼に弥六沼の名を残すなどしたが、後に東京農林学校が帝国大学農科大学となったのを機に大学を辞して政界に進出。第一次大隈内閣で司法政務次官となる異色の経歴の持ち主だ。
押し出しの強さで知られ、号の背水にちなみ〝背水将軍〟と呼ばれて政界に名をとどろかせただけあって、この時の静六への圧力も相当なものであった。
「本多家のたっての依頼に松野君も困っており、僕も頼まれたのだから、僕たちの顔をたてるつもりでちょっと行ってきてくれ。ただ行くだけでいい」
有無を言わさず面会を命じられた。
それにしても、東京農林学校の林学教授を二人とも味方につけた本多晋の政治力は誠にあっぱれである。

仕方なく、苦学生然としたボロ服に例の兵隊靴を素足に履き、顔も洗わず髪ぼうぼうのまま、わざと汚い身なりで本多家に乗り込んだ。
(さすがにこれなら向こうも諦めるだろう)
と考えてのことだったが、あとで晋に聞いてみると、
「剛毅朴訥(ごうきぼくとつ)仁に近し。これくらいの度胸と自信がなければ娘の婿には向かないと喜んでいた」
ということだった。
敵もさるものである。晋も養子であり、他家から養子に入るものの気持がよく分かっていたのだろう。
晋に会った第一印象は悪くなかった。むしろ、さすが彰義隊の元頭取と内心感心した。額広く眼光炯々として鼻梁高く、古武士然とした堂々たる風貌の人物だ。
そして肝心の娘の方だが、丸顔のかわいい女性ではあったが美人という範疇には残念ながら入らない。一目惚れして縁談に前向きになるというわけにはいかなかった。
これでともかく会うには会ったと静六が辞去しようとすると、
「せっかく夕飯の支度をしておいたんですから」
と母親が出てきて引きとめた。
やむなく静六は膳についたが、生まれて初めて目にするようなごちそうが並んでいる。ビールに加え、アメリカから樽で取り寄せたというカリフォルニアワインまで出てきたのには驚いた。
こうなったら大食であることを見せて撃退してやろうと、刺身のツマまで残さずに食べてしまった。すると今度は恥ずかしがって手をつけていない銓子の膳を勧められ、瞬く間にこれを平らげ得意になっていたら、
「これはお見事、さすが豪傑ですな。もう一つ母の膳がありますからどうぞ」
と言われたのにはさすがに驚いた。
だがここで弱気を見せてはこれまでの努力が無駄になると思い、すでに満腹の胃袋へまたもぎゅうぎゅう詰め込んだ。
腹がはちきれそうで息をするのも苦しかったが、そんな様子はおくびにも出さず、悠然と爪楊枝を使いながら本多家を辞したのである。

「どうだ気に入ったか?」
学校で松野に尋ねられたが、
「気に入るもいらないもありません。行ってくるだけで良いとのことでしたから、よくは見ませんでした。でも御馳走のほうだけは三人分確かに平らげてきました」
と正直に答えた。
松野は静六の困っている様子を見てかわいそうになり、
「君はこの縁談に乗るつもりがないんだな。じゃあ本多家にハッキリ断ってやろう」
と言ってくれた。
こうして縁談話はこれにて打ち止めとされ、本多家でも縁がなかったのだとあきらめて他を探すことになったが、意外なことに当の銓子が静六との結婚を真剣に望みはじめた。クリスチャンだった彼女はひたすら神に祈り、神様は必ず自分の願いを叶えて下さると信じていた。
ほかの縁談には耳を貸さない娘の様子に、両親も捨て置けず、
「養子に来るのが嫌なら嫁にやってもいい。もとより一人娘だから本多家の財産全部を付けて差し上げる」
と、またも松野を通じて申し出てきた。
それだけではなかった。本多家はさらに一策を講じるのだ。静六にとって大恩ある故島邨先生の夫人を味方に引き入れてしまったのだ。
ある日、島邨夫人から呼び出されて行ってみると、ほかならぬ銓子との縁談の話だった。
「あなたがかねて美人を娶(めと)ると言っていたことは承知していますが、ことわざにもあるとおり美人は薄命ですから、一生の妻としては見た目よりも健康と心だてが大事です。先日、本多邸の近くまで行って様子を見てきましたが、いかにも落ち着いたしっかりしたお嬢さんでした。本人も両親にも望まれ、条件があるならどんなことでもあなたの希望通りにすると、あれほど熱心に言われるのを無下に断るのも気の毒ですよ。もう一度よく考えてごらんなさい」
さんざ御世話になってきた夫人の言葉だけにこれは重かった。

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