【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #40
前回はこちら↓
【緑に溢れる現在の大菩薩嶺】
第四章 緑の力で国を支える (10)
東京の水道事業と奥多摩水源林(後編)
水源林予定地は手に入った。
明治三六年(一九〇三)、まずは多摩川源流の泉水谷(いずみたに)(山梨県丹波山村)に派出所を設け、はげ山(無立木地)となっている周辺一帯に針葉樹を植栽していく計画を立てた。
このあたりの地質は風化した花崗岩で地味がやせ、海抜一二〇〇メートル以上の厳しい寒冷地でもあるため環境は劣悪だった。それでも静六は果敢に挑戦し、後にこの事業が東京市に引き継がれる明治四三年(一九一〇)までの間に、一一二〇ヘクタールもの植栽を完了させた。
無立木地への植栽が完了すると、第二段階として、大菩薩嶺(だいぼさつれい)北東部の高地にあるミズナラ、 ブナなどの広葉樹を伐採し、その跡地にスギ・ヒノキ・カラマツなどを造林していく作業に着手した。
針葉樹のほうが広葉樹より将来高く売れるとの目論見もあったが、当時の林学では、水源林には広葉樹より針葉樹が適しているとされており、静六が広葉樹を伐採して針葉樹を植栽していったのはある意味常識的なものであった。
さらに静六は製炭の事業化を考え、炭焼き五〇組を招致するという前代未聞の計画まで実行に移した。
だが悲しいかな、彼の見込みが甘かったことが次第に判明していく。
製炭事業は年間約五万俵を産出する計画だったから、炭焼きの人たちは少々借金してまではせ参じてくれたが、寒冷なため炭焼きができる期間は半年ほど。おまけに木の生育が悪いから炭の品質も悪く、買い取り値段が低くなった。
ついには販売先の内務省が購入を断ってくるに至り、炭焼きが逃げ出しはじめ、二年ほどで五〇組から二〇組に減少した。
初めに植栽したヒノキやスギは寒さとやせ地のためほとんどが枯死し、間伐木や製炭の収益を加味しても大赤字となった。
責任を感じた静六は、ここで驚くべき行動に出る。
水源林造林事業の赤字を補填するため、私財を投じはじめたのだ。その額は大学教授の給料の三年分に相当するものであったという。
かつて彰義隊を立ち上げたほど血の気の多い養父の晋は、人生意気に感ずという行動が大好きだ。私財をなげうつという覚悟を聞いて大いに喜び、
「それは武士道にかなう行動だ。若いときの失敗は一生の薬になる!」
と言って励ました。
静六は少々苦笑いである。
こうして事業を継続しながら改良を加えていった。下草刈りを徹底して木の養分を横取りされないようにしつつ、中小の雑木を残して腐葉土を蓄えていったのだ。
こうした努力はやがて実を結ぶ。
まずカラマツが根付いてくれた。するとヒノキも樹勢を回復してきた。そしてカラマツやヒノキの落す落葉が地表をおおい、腐葉土が積み重なって次第に土壌が豊かになっていった。
後に静六は振り返ってこう反省の弁を述べている。
「(当初の失敗は)まったく自分の不徳である。しかしこれによって初めて実際の経験を得て、造林学、林学経営上学び得たところが多い。赤字の補填はその学問をした月謝と考えます」
この貴重な経験により、造林学は日本の風土に合った効果的なものへと発展していくのである。
静六が悪戦苦闘している最中、東京市民の間から、水道事業は東京府ではなく本来の事業主体である東京市自らが責任を負うべきだとの声が出てきた。だから静六も最初、東京市長のところへ相談に行ったのである。
東京市の人口はすでに一八〇万人を数える大都市になっている。上水道の整備は焦眉の問題であった。
にもかかわらず松田市長の下では水道工事を巡って贈収賄事件が起こるなどして一向に進捗が見えず、業を煮やした東京府会が東京市政批判の意見書を出す異常事態となっていた。
この混乱に終止符を打ったのが、明治三六年(一九〇三)、新たに第二代目東京市長に就任した尾崎行雄である。〝憲政の神様〟とも称される大政治家だ。
尾崎は早速行動を起こした。
明治四二年(一九〇九)五月、自ら五日間にわたって多摩川上流を踏査し、自分の目で水源林経営の必要性を確かめたのだ。
早速、水源地森林経営費が予算計上され、羽村(現在の東京都羽村市)の上水取り入れ口から上流にかけて毎年六〇〇町歩ずつ植林していくこととなった。
ここで東京市の顧問に指名されたのは、やはり本多静六その人であった。
すでに十分ノウハウを蓄積している。植林事業は順調に進んでいき、十分な取水量を確保しつつ東京市の水道整備は急ピッチで進んでいった。
そして今や日本の水道事業のノウハウは海外に輸出されるレベルとなっている。
時は流れて昭和三八年(一九六三)、尾崎市長の功績を称え、山梨県北都留郡丹波山村に「尾崎行雄水源踏査記念碑」が建てられた。
だが私財までつぎ込んでこの事業を支えた本多静六に対し、世の人はもう少し感謝の意を表わしてもいいのではないだろうか。
次回はこちら↓