【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #16
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【伊豆天城山 宵の月】
第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (9)
折原静六から本多静六へ
静六が残した名言の中に〝三度辞して従わぬは礼にあらず〟というのがある。遠慮するのも二度まではいいが三度以上になれば相手を不愉快にさせ社交上も無益であるというのである。
だがさすがに縁談となると話は別らしく、極めて往生際が悪かった。
「卒業後、ドイツに四年間留学させるという条件を出してみてください」
追い詰められた静六は島邨夫人にそうお願いした。
縁談を断る方便のつもりだったのだが、意外にも本多家からは、
「それくらいの大望のある婿が欲しいのだ。どうせ娘も財産もみんなやる覚悟だから、財産の許す限り何年でも洋行を引き受けましょう」
と言ってきた。
本多家の養子になれば、和英辞書を作ってでも留学したいと思っていた夢がかなうのだ。心動かないはずがない。
それでもまだ、
「なにぶん学生の身ですから、生家の許可を得なければ…」
と最後の抵抗を試みたが、見事に機先を制される。
晋はすぐ行動に出たのだ。
島邨未亡人から静六の実家の住所を聞き出すと、汽車も馬車もない時代に東京から河原井村まではるばる出かけていった。そして静六の母やそや兄金吾に面会すると、静六言うところの〝生家の許可〟を得ようとしたのである。
いきなり彰義隊の頭取だったという立派な風貌の人物がやって来て、すっかり面食らってしまった二人は、
「思し召しはありがたいですが、いずれ本人と相談した上で…」
としどろもどろだ。
すると晋はすかさず、
「本人さえ承知なら、ご生家ではご承諾くださるものと思って差し支えないですね」
と念を押し、二人が異存はないと答えた瞬間、
「これでめでたく結納の段取りとなりました」
と高らかに勝利宣言したのである。
しかもその日は静六の生家に泊まり込み、すっかり仲良くなって意気揚々と翌日帰京した。
ほどなく銓子から静六のところに、両親の許可を得て直接手紙を差し上げますという前置きで封書が来た。
手に取ってみると目を見張るほどの達筆である。書を佐瀬得所(させとくしょ)という高名な書家に学び、賞を受けるほどの腕前だったのだ。余談だが、静六はどれだけ頑張っても字がうまくならず内心コンプレックスを持っていたので、揮毫した書がほとんどなく、碑文も三つほどしか確認されていない。
銓子からの手紙には、父親が河原井村まで行って〝生家の許可〟を得て話がまとまったことが書かれており、末尾には〝一日も早くご卒業遊ばされますよう、神かけて祈り上げます〟と結んであった。
静六はもう詰んでしまっていたのだ。
そうこうするうち静六は、伊豆の天城山へ一ヵ月の予定で造林学の実習に出かけて行き、銓子からの二度目の手紙を湯ヶ島の宿で受け取った。
例によって同じ部屋にいたのは河合である。傍らで寝転んで本を読んでいた河合が急に鼻をクンクンいわせながら近寄ってきた。
「なんだ、なんだ?えらくいいにおいがするじゃないか。どうもその手紙が怪しい。ちょっと見せてみろ」
そう言って手紙を取り上げると、封筒の裏表をこもごも眺めながら、
「これはただ者じゃないな。素晴らしい筆跡だ。それに香がたき込んである。におうはずだ。読んでもいいか?」
親友の河合のことなのでだめだとも言えずいいと返事すると、彼は二度三度読み返していたが、そのうち急に大きな声を出した。
「これはまったく驚いた!筆跡ばかりじゃなく文章も名文だ。最後に書き添えてある『幾度(いくたび)か思い伊豆山天城山 思いあまりて君を待つかな』の一首なんか本式の歌だ。縁談で困っていると聞いていたが、相手がこのお嬢さんとは、君もずいぶん果報者だな」
「まだ学生の間に婚約なんかしたくないんだが…」
「君も案外欲知らずだな。こんな立派なお嬢さんは早く約束しておかなけりゃ、すぐ人に取られてしまうぞ。友人として忠告してやる」
親友まで本多家に味方しはじめたのを見て、今はこれまでと観念した静六はついに銓子と婚約することとなった。
「留学前に孫の顔が見られるよう、できれば早く結婚してほしい」
本多家は、そう申し入れてきた。
銓子はすでに満二六歳になっている。大正時代に作詞された童謡「赤とんぼ」でも〝一五でねえやは嫁に行き〟と歌われているように、当時としては婚期を逸していると判断される年齢だ。焦りがあったのは間違いない。
島邨夫人からも勧められたので、静六は婚約後すぐに結婚し、芝区芝園橋畔新堀町(現在の港区芝二丁目)にあった本多邸に住むこととなった。二階の六畳と八畳が二人の新居になった。
着物は下着から上まですべて新調してもらい、通学に際しても本多家お抱えの車夫が駒場まで送ってくれると言われたが、遅れた時以外は努めて歩いた。健康のためできるだけ歩くのが静六の習慣だったからである。
例によって、食事はビールやワイン付きで豪勢だ。
今まで下宿の六畳に河合と二人で住み、炭と油付きで月二円九〇銭の暮らしをしていただけに〝まるで一躍大名にでもなったような気がした〟と述懐している。
ここまで思われて結婚したことは、静六に大いなる幸福をもたらした。
倹約家だった静六の方針で本多家の家計のやりくりは相当困難なものだったはずだが、一途に想って一緒になった相手だったからこそ、銓子は文句も言わずにやりくりした。静六は四分の一天引き貯金を自分の手柄のように喧伝しているが、銓子の協力なくしては実現不可能だった。
聡明にして忍耐強い銓子との結婚は、静六の人生を素晴らしいものにしてくれたのである。最後に背中を押してくれた河合に感謝して、静六夫妻は彼に奥さんを紹介している。
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