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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #23

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永遠の森23

【若い日本人留学生たち。勉強の合間にピクニック】

第三章 飛躍のドイツ留学 (7)
若さを持て余す二人

後藤からドイツ語を教えてくれと頼まれた静六だが、必死に勉強している彼にそんな時間があるはずがない。
ほかの日本留学生に頼めと言うと、
「ブレンターノ博士の講義の内容も聞きたいから、ほかの日本人ではダメだ」
と好き勝手なことを言う。
それでも人のいい静六は、
「毎晩九時頃僕のところへ来れば、一時間ずつ教えてあげよう」
と請け負って、まずは順序としてドイツ文法から教えはじめた。
すると後藤は、
「文法など不要だ。手っ取り早くブレンターノ博士の講義がわかるように聴き方と筆記を教えてくれ」
と言ってきかない。
(これはとても扱いきれん…)
何とか追っ払う方法はないかと思い悩んだ挙句、一計を案じた。
ウェーベル先生の親類で四一歳になる未亡人が外国人に語学を教えていたことを思い出し、その人に頼んで週に二回二時間ずつ後藤の下宿へ教えに行ってもらうことにした。

やっと肩の荷を下ろしてほっとしたが、その後一週間ばかりして後藤から手紙が来た。夫人のところに転居したから、ぜひ折を見て遊びに来てくれと書いてある。
夫人というのは静六が紹介してやった語学の先生だ。
(一体どういうことだ…)
首を傾げながら行ってみると、部屋の入口こそ別々だが、中の行き来は自由になっている。要するに二人は同棲をはじめたのだ。
ぽかんと口をあけながら後藤の言い分を聞くと、
「なあに、君がせっかく語学の先生を世話してくれたが、一週間に二時間ずつ二度くらいではたいして進歩しやしない。そこで毎日寝ても起きても語学を教わる方法にしたんだよ。あとのことをよろしく察してくれ」
ときたものだ
静六はまたとんでもないことになったと驚いてしまって、
「これではウェーベル先生に申し訳ないではないか!」
となじると、後藤は一向平気な顔で、
「君も存外バカだな。表向きはちゃんとした下宿人だから差し支えないじゃないか。日本と違って、かかる文明国では人が隠していることを暴きたてるような非紳士はいないよ。親類だって独り者同士が隣室に住めばどうなるかぐらいは百も承知で、いずれも知らぬ顔で澄ましてくれている」
と逆にたしなめにかかってきた。
静六はあっけにとられながらも引き下がったが、考えてみれば語学の先生も女盛り、後藤も三四歳で風采堂々たる好男子だ。どうやったのかは知らないが、いずれにしても要領のいい奴だと感心することしきりだった。

実はかくいう静六にしても、相変わらずモテモテの生活が続いていた。
最初三ヵ月ばかりいた下宿は六十歳前後の陸軍大佐未亡人の家であったが、当時この家にはローザ十九歳、ガブリエル十五歳、ロッテ十三歳と三人の女性がいた。
下の二人はまだ学生だが、ローザは婿探しの真っ最中。母親はローザを静六に近づけるべく世話をさせていた。
ところが静六は十三歳のロッテが一番気に入っており、ロッテもしばしば静六の部屋に遊びに行っていたので、ローザはヤキモチを妬き母親に告げ口した。
すると母親は、
「ロッテはまだ子供だから誘惑してはいけませんが、ローザの方なら女学校を卒業して立派な娘になっていますからあなた方の自由にお任せします」
と言ってきた。
(これは大変だ。こんな家にいるとどうなるかわからない)
と恐ろしくなり、学校に近い下宿に転居した。

次の下宿はバイエルン王宮の守衛長の家であった。
ここにも娘が三人いて、長女リーザが十七歳、次女十五歳、三女十一歳。中でも長女リーザは気立ても良く親切で静六の面倒もよく見てくれ、そのうち二人の間に恋が芽生えた。
この時の事情について、後に次のように述べている。

〈いつしか長女リーザと恋愛に陥りかけたので、さいわい先輩佐々木博士の注意と指導で大過なきを得たが、ただ罪のない少女リーザを失恋の憂き目に遭わせたのは私一生の痛恨事である〉
(『私の体験成功法』)

〝先輩佐々木博士〟とは留学仲間の佐々木忠次郎のことである。
佐々木は留学前に東京農林学校の教授をしていたが、蚕などの昆虫学が専攻だった。直接には教わっていなかったから〝先輩〟と書いているのだろう。
静六の曾孫の夫でお茶の水女子大学名誉教授の遠山益(すすむ)は、静六の評伝の中でさらに踏み込んで次のように書いている。

〈ミュンヘン在住の日本人留学生六人のあいだでも、本多の女性関係は話題になっていた。先輩のS博士は在独数年におよび、留学生の生活万事について熟知していた。先輩が言うには「良い女性と恋愛してもいいが、若い留学生は深入りしすぎて、退けどきを見失ってしまう。一つ実施指導してやろう」。われわれがよく知っている森鴎外のような話は、ほかにもあったわけだ。S博士は同地の花街の確かな一人の女性を紹介してくれ、さらにこの女性に向かって「この男はいま試験の身であるから、せいぜい月三回までにしてくれ」という念の入れようであった。S先輩の計らいで、女性問題について、深みに陥らず通過することができた。長期の海外留学には結婚して、夫婦同伴が望ましいと、のちに本多は回想している〉
(遠山益著『本多静六 日本の森林を育てた人』)

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