【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #09
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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #09

前回「第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (1)」はこちら

永遠の森9

第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (2)

無謀だった山林学校受験

島邨(しまむら)の言うとおり、東京山林学校は官立なので学費は安かった。修学上必要最低限の教科書代や制服や靴なども支給されることになっている。当時はまだ将来何になろうという確かな志望があったわけではなかったが、安い学費で勉強できることに強く惹かれた。
そのことが、一生を林学に捧げる出発点となるのである。
募集は二月、九月開始の二期生で、募集数はそれぞれ三〇名と五〇名程度。
だが、この東京山林学校の受験は相当無謀なことだった。受験資格の大前提が年齢満一八歳以上二五歳以下となっているのだが、静六はまだ一七歳だったのだ。
島邨も島邨だ。ちょっと調べればわかることである。だが、あきらめきれない静六は、苦肉の策で役場に頼んで半年分年齢をごまかしてもらって願書を提出した。今なら立派な公文書偽造である。

受験資格には、年齢制限のほか以下の条件が並んでいた。

一、身体壮健にして在学時に家事に煩わされることなく、かつ独仏英のうち外国語を理解できる者。
二、普通中学卒業もしくはそれに準ずる学力を有する者。
三、平方立方以上の算術を理解し得る者。
四、山林事業の概略を覚知せる者。
五、品行端正にして二人の保証人がいる者。中学を卒業していない者は、和漢書(講義句点)、講義書取、作文(眞片仮名文)の試験に合格した者に限り入学を許す。

静六は後者に該当するわけだが、書きぶりからいかにも例外だということが伝わってくる。

それから二ヵ月ほど、必死に受験勉強をした。
幸い島邨の邸内に細井均安(きんあん)という陸軍士官学校の数学教官が住んでおり、その先生から幾何と代数を教えてもらった。
細井先生は山林学校の入学試験ならこんな問題が出るかもしれないと言って、ピタゴラスの定理を使って木の高さを測る方法を教えてくれた。
試験は三日間。薄氷を踏む思いで試験に臨んだが、細井先生がヤマをかけてくれたピタゴラスの定理がずばり出た。小踊りしたいような思いであった。
二月二八日の合格発表を見に行くと、果たして五〇名中五〇番目で合格していた(実際に入学したのは二四名)。
最下位だろうと、二ヵ月足らずの受験勉強で入学できたのは奇跡的な幸運と言える。だが残念ながら、やがてそのツケは回ってきてしまうのである。

貧乏学生

明治一七年(一八八四)三月一日に入学式が行われ、三日から早速授業が始まった。
東京山林学校の制服は小倉木綿だったが、ドイツの森林官にならい青緑色とされた。色が突飛だったため、世間からは〝青竹〟〝青虫〟〝青蛙〟と冷やかされた。
生徒はすべて寄宿舎に入った。
予算不足のため平屋の粗末な長屋だった。一室に四人、入口の両側に二段ベッドがあり、その下の戸棚の半分ずつに各自の荷物を入れる。寝台には厚いわら布団があり、その上に白い敷布と掛け布団と毛布があって、毎朝片付けて畳んでおくはずが、ついつい万年床になり、のみが沸いた。
母や兄が丹精して得た養蚕の売上のほとんど全部をつぎ込み、実家から学費を出してもらえることになった。そんな家族に心配はかけられない。手紙には、部屋に火鉢があるから冬も暖かくて寄宿舎生活は快適だと強がりを書いた。
学費を払ったら仕送りはすべて消える。だがそれでは生活できない。そこで静六は日曜ごとに欠食届を出し、寄宿舎から欠食分の払い戻しを受け、これを小遣いに充てることにした。

日曜日になると朝暗いうちに四谷仲町の島邨家へ行き、庭や畑の手入れをし、使い走りなどをして三度の食事を食べさせてもらった。これで歯磨きや紙やペン、インクなど、生活に必要な最低限のものを買った。
最初一回だけは制服とコートと靴が無償で支給されたが、日曜ごと島邨家との間を往復するうち支給された靴は底が抜けた。そこで裏に丸い鋲がいっぱい打ってある兵隊靴を一足五〇銭で買い、それを三年近く大事に履いた。
靴下も普段は履かず、履くのは島邨邸やその他の家を訪ねる時だけ。島邨夫人から貰った白い木綿の靴下をポケットに忍ばせて行き、訪問先の門前で履き、門を出るとすぐ脱いだ。こうして一足の靴下で四年間過ごした。
鉛筆も短くなると筆の軸の先にはめて使い、寄宿舎の窓の下に捨ててある短くなった鉛筆を拾って使ったりもした。紙も半紙の裏表に細かい字で書き大切に使った。
寮では時折、コンパが開かれたが、静六は金を出せない。そこで安倍川餅などを買い出しに行く役を引受けた。
その他、お金がなくて苦しんだ思い出は山ほどあるが、そのことがかえって生活に緊張感を持たせ、勉強の成績は学費の厳しさに反比例して良くなっていった。
「貧窮は私にとって鍛錬の父であり向上の母であった」
そう語る静六は、後年こうも言っている。
「人間は一生のうちに一度貧乏の味をつぶさに舐めておくと、金や物のありがたみも人情もわかって大いに後々の為になる。しかも貧乏の体験はなるだけ若いうちに早く済ますが良い。老人になってからの貧乏の体験は人生に悲劇することも少なくなく、効用応用する期間も短く悲惨に終わるものが多い」

貧乏はさほど苦でなくなっていた静六だが、貧乏であるが故に窃盗の嫌疑を受けたのには閉口した。 
ある日のこと、静六の部屋で机の上に置いてあった同級生の財布から五〇銭札が抜き取られ大騒ぎになったのだ。
舎監の取り調べがはじまった。
その日その部屋に来たのは隣室の三人だけ。いずれも金持ちなので、かねて貧乏で評判の静六に嫌疑がかかった。静六は財布の中にお金がないことを示し、無罪だと主張したが、彼の荷物が調べられ、服の裏に五〇銭札一枚が縫いこんであるのが発見される。母やそが万が一の用意にと縫い込んでくれていたものだった。
そのことを忘れていたわけではないが、いつも一文無しだと広言し、コンパの時などもお金を出す代わりに買い出し役を買って出ていただけに、言い出せなかったのだ。
「自分は本当に取っていませんが、縫い込みの五〇銭を言わなかったのは私の落ち度ですから服罪します」
と舎監に申し出た。
ほかの学生たちは静六に同情し 貧しいが故の盗みなのだから、みんなで寛大な措置を嘆願しようじゃないかと相談し合っていた時、隣室の金持ちの息子が突然泣き出した。
「実は犯人は僕なんだ。今朝、この部屋へやって来てみると、財布が机の上に投げ出してある。ちょっとしたいたずら心で五〇銭札を一枚抜いておいた。もちろん後で返してやるつもりだったが、外出している間にとんだ大ごとになってしまって言いそびれたんだ」
こうして静六の無実が判明したが、後味の悪い事件だった。

(次回は6月4日更新予定です)




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