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【イベントレポート】明治維新はファンドが支えていた!歴史好きアナリストが語る「江戸の資産運用」

5/22(水)、レオス・キャピタルワークスきっての歴史好きアナリスト小野頌太郎が「激動の時代を乗り越える、江戸の資産運用」と題し、数多くのお客様を前に語りました。

会場には老若男女、幅広い年代の方が訪れ、赤ちゃんも熱い話に聞き入ってくださりました。

長州藩の危機的な財政を救い、引いては明治維新の土壌を作ったのは、撫育方(ぶいくがた)というファンドだった!? 歴史をお金の面から読み直す、レオスならではのセミナーになりました。

レポーターは、マーケティング・広報部の大酒です。

(講師プロフィール)
小野頌太郎 おの・しょうたろう
レオス・キャピタルワークスにアルバイトとして入社。
2014年、東京大学農学部卒業後、新卒で当社に入社。トレーディング部にて国内株式の執行業務、パートナー営業部にて国内外の投信および機関投資家営業に従事。2018年4月から運用部でアナリストとして企業調査を行なう。

アナリスト小野頌太郎のインタビューはこちらもどうぞ!

明治維新の「お金」はどこから湧いてきた?

明治維新の立役者が、薩摩藩と長州藩であったことは、よく知られています。しかし、大規模な討幕運動、リーダー育成のための海外留学などなど、そんなことを成し遂げるための「お金」はどこから湧いてきたのでしょうか? 

小野のこんな問いかけから、セミナーはスタートしました。

ところで、小野アナリストが歴史に興味を持ったのは大学時代。留年してしまい、ありあまる時間を歴史の読書に費やしたそうです。折しも、金融危機による空前の不景気だった2008年。「最初は金融の本を読んでいたけれども、それに飽き足らず金融の歴史へと興味が変遷した」とのことです。

実は、江戸末期の1840年、長州藩の財政は危機的状況でした。171万石もの借金があったのです。

……と言ってもピンとこないですよね。小野は独自に今の貨幣価値に換算しました。すると借金額は、実に1279億円。このころの長州藩のGDPの約2倍、収入の5倍です。


(長州藩の借金は、現在の日本に並ぶ)

各種資料より小野推定

これには会場のあちこちから驚きの声。赤ちゃんも「あー、あー」とびっくりした様子でした。

1840年にこの体たらくだった長州藩ですが、1862年から1870年の9年間、倒幕に関連して2102億円もの支出をします。大砲、船、京都の守備……。何をするにもお金がいるのです。こんなお金、どこに隠し持っていたのでしょう?

撫育方。
これが、幕末の長州の資金の要でした。

財政危機の長州藩をファンドマネージャーが救う

そもそも明治維新は、薩摩藩と長州藩が主役でしたが、薩摩藩は琉球という植民地を持っていました。琉球にはサトウキビという、まさに金のなる木があったのです。加えて借金を踏み倒す強引なやり方もいといませんでした。ところが、長州にはサトウキビのような金のなる木がありません。

ここで登場したのが、撫育方。撫育方とは、投資をして産業を開発し、新産業から生まれた利益をさらに投資に回す制度です。

撫育方は、藩の一般会計から完全に分離され、武士への給与などに流用できない仕組みになっていました。まさに現代で言うファンドが、1763年、長州藩第七代藩主・毛利重就によって創立されたのです。毛利重就はファンドマネージャーですね。レオスで言えば藤野です。

毛利 重就(もうり しげなり)
1725年 - 1789年
原典:「長府毛利十四代記」下関市立長府博物館 毛利博物館所蔵
作者不明 

港湾、倉庫、新田開発!

撫育方ファンドの投資先は、たとえば港。ファンドから75%を出資し、港湾と倉庫を開発しました。それが現在の下関市、防府市、光市の3か所です。新たな海上輸送ルートを確立し、港湾使用料などで利益を上げました。

また、倉庫には米を貯蔵し、大阪で米が高くなると、倉庫の米を船で大阪に運び、富を築きました。同じようなビジネスは現在も原油などで行なわれていますね。

瀬戸内海沿岸の新田開発にも積極的に投資しています。開墾に資金を出しつつ、これに労働で貢献した家臣に対しては領地を与えました。ストックオプションに似ていますね。

このほか米、紙、塩、蝋の「防長4白」(ぼうちょうよんぱく)の生産者にも投資。過剰生産で価格の暴落を起こさないように、業界団体を作って生産調整するよう指導するなど、投資家が企業経営に積極的にアドバイスする「エンゲージメント」もしたのです。

会場からは「なるほど」とつぶやきが聞こえてきます。「分かり易い資料と説明、熱い語り口に、歴史ショートドラマシリーズを見ているようでした」(お客様アンケートより)。

再びの危機に、敏腕アナリストが登場!

ストーリーは続きます。お客様の反応を受けて、大好きな歴史と投資を語る小野のテンションも上がっています!

一度は撫育方による運用に成功した長州藩ですが、度重なる天災や幕府からの圧力、大規模な一揆で、1840年代、再び財政難に陥りました。

そんな危機の時代にも、村田清風という優秀な“アナリスト”が現れ、貿易や商業など有望な投資先を見つけてはお金を投じました。明倫館(学校)の創設など、人への投資も惜しみませんでした。

村田 清風(むらた せいふう)
1783年-1855年
原典:萩博物館所蔵
作者不明

1840年に銀8万5000貫(170万石)あった長州藩の負債は1846年には大半がなくなりました。撫育方にも、豊富なお金が積みあがっていました。こうして、明治維新の土台が整ったのです。

各種資料より小野推定

撫育方の特徴を改めて振り返ると、

1. 専門の運用機関を置いたこと
2. 一般会計とは切り離したこと
3. 明確な運用戦略

の3点です。

有望な企業にお金を投じ、それを元手に企業が人々を豊かにし、そこで生まれたお金が再び帰ってくる。これがファンドの仕組みです。歴史の勉強では、どうしても政治的ヒーローに目が行きがちですね。でも、歴史が動くときにはお金が動く。今回は、撫育方の歴史を振り返ることで、ファンドが社会を変えるパワーを持っていることを実感していただくセミナーになりました。

会場からは「人やモノが歴史を経て変わっても、お金の本質や投資の本質は変わらないことがわかった」といった感想が聞かれました。小野が熱心に語る姿を見て「小野さんの飾らない一面が見えてよかった」という感想も。

「他のアナリストの好きなことを話す会にも参加したい」。こんな声もいただいたので、また今後も何か企画していきたいと思います。ご期待ください!

(参考文献)
林三雄(2001)『長州藩の経営管理』文芸社,三坂圭治(1944)『萩藩の財政と撫育制度』マツノ書店,小川國治(2003)『毛利重就』吉川弘文館,真鍋繁樹(1996)『義なくば立たず』講談社,Albert M. Craig(1978)『 Choshu in the Meiji Restoration』Harvard University Press

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レオス・キャピタルワークスでは、お金や投資を楽しく学べるような、さまざまなセミナー・イベントを開催しています。
みなさまのご参加をお待ちしております!


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