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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #57

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永遠の森57

【学士会館】

第五章 人生即努力、努力即幸福 (3)
嫉妬の洗礼

二五歳から始めた四分の一天引き貯金によって、一五年目の四〇歳になった時には大学の俸給より貯金の利子や株式配当の方が多くなり、その後、静六は立派な資産家になっていく。
大学教授がみな一財産築いていたかと言えばそうではない。年収が現在価値にして二、三〇〇〇万円あったわけだから裕福ではあったろうが、静六ほどの富豪にはそう簡単になれるものではない。
実は静六が資産家への道を歩み始めた頃、義父の晋はそれを喜ばなかった。
「お前は冥利二つながら得ることはできないという古人の言葉を知らぬのか。学者は学者らしく清貧に甘んじるべきだ。金持ちになりたければ相場師になればいい。お前が大金もちになれば、せっかくの学者が下品になり同輩からはそねまれ名声の邪魔になる」
ここまで言われてさすがにムッとしたが、静六は自分の信じた道を曲げなかった。養子といえば養家に遠慮するのが普通だが、静六の場合、へりくだることは一切せず、銓子も黙って静六に従った。
だが〝同輩からはそねまれ〟という晋の忠告は、ものの見事に的中してしまうのである。

大正二年(一九一三)に神田三崎町の火事で焼失した学士会館を再建しようという話が持ち上がり、大学の教授、助教授も応分の寄付をしようということになった時のこと。静六は一〇〇〇円の寄付をした。
するとこれが大問題となった。少なすぎるというのではない。多すぎるというのである。
同じ東京帝国大学農科大学教授だった鈴木梅太郎教授も一〇〇〇円の寄付をしたが、オリザニンの発見で知られる鈴木教授が多くの特許を持ち、資産家になっていることは皆知っている。その暮らしぶりは彼の高級そうなスーツを見ればわかる。
ところが教授連にとって静六は、一年中、詰襟服で過ごしている貧乏くさい男でしかない。
その静六がいきなり一〇〇〇円もの金を寄付すると言ってきたことから大騒ぎとなったのだ。
「一介の教授がそんな金を出せるはずがない。きっと非合法な商売にでも手を出しているに違いない。学者の風上にも置けない話だ」
そんな声があがり、大学から出て行ってもらおうという話になった。
そもそも静六は頻繁に雑誌に投稿するなど、大学教授に相応しくない行動が多かった。学問的成果は別にして、教授会の中では相当顰蹙を買っていたことが窺える。親友の川瀬や河合が助け船を出してやれればよかったのだが、運悪く川瀬は欧米へ、河合は台湾へそれぞれ長期出張中であった。
他の教授たちはその隙を狙っていたのかもしれない。

そして横井時敬(ときよし)教授(第一号農学博士、東京農大初代学長)と長岡宗好助教授が代表に立ち、静六の研究室にやってきて辞職を迫った。
さすがの静六も最初は面食らったが、話を聞いているうち彼らが大きな勘違いをしていることに気がついた。完全に自分のことを貧乏なはずだと決めてかかっているのだ。吹き出しそうになるのをこらえながら、落ち着き払ってこう返事した。
「辞職を求められるのは自らの不徳のゆえだから謹んでお受けするとして、金の出所を疑われるのは心外です。証拠をお見せしますので、拙宅にお越しいただけませんでしょうか」
そして二人を連れて家に帰った。
「家計簿を持ってきなさい。あと貯金通帳と株券も」
そう銓子に命じ、大学任官以来の家計簿などを持ってこさせた。二人の前に山と積まれた何十冊という家計簿に彼らは目を白黒させている。
どの家計簿も銓子の見事な字で収支が整然と記録されている。どこを開いてもどの年の決算を見ても、こつこつと財産を積み上げていることは一目瞭然だった。
二人は目を丸くして言葉もない。
ここで静六はあらためて、これらはすべて四分の一天引き貯金とブレンターノ教授から教わった投資術の結果であることを話して聞かせた。
「それでも諸君は、本多には分不相応な一〇〇〇円だ。けしからんと言うのかね?」
と迫ると、彼らはとんでもないとかぶりをふり平謝りに謝って帰って行った。
その後横井はわざわざ奥さんをよこし、家計簿の付け方を教えて欲しいと言ってきたという。完全に参りましたという意思表示だったのだろう。

静六は吝嗇(りんしょく)ではなく、財産を蓄えていく過程においてもよく金を散じたことについてはこれまでも触れてきた。
大正の初め頃、河原井村の関根勇助という人が折原家に働きに来ていてたまたま実家に帰っていた静六に出会い、もっけの幸いと、
「村に消火ポンプが無いので困っております」
と話したところ、すぐにぽんと一〇〇円を寄付してくれた。
この金で消火ポンプを買い、収納する消防小屋が静六ゆかりの幸福寺のお地蔵さんの横に作られた。このポンプはすこぶる性能がよく、近隣で火事が起った際には大活躍したという。
そのほかにも、幸福寺の向かいにある稲荷神社の改築に一〇〇円とか、母校の三箇小学校にも一〇〇円とか、何かあると故郷のためにしばしば寄付をしている。
寄付を頼む方は相手が大先生だから緊張する。おそらく紋付き袴姿で何人もが本多邸にお願いに行ったのであろう。
そんな時、決まってこう説教されたという。
「こんなふうにわざわざ渋谷まで出かけてきたりするから金が貯まらんのだ。はがき代一枚、一銭五厘で十分だ!」

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