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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #24

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永遠の森24

第三章 飛躍のドイツ留学 (8)
切腹も覚悟した学位試験

本多家からの仕送りを期待できなくなった静六は生活費を切り詰めるだけでなく、なんとか留学を早めに切り上げられないかと思案しはじめる。かと言って博士号も諦めたくない。
そんな静六に同情してくれたウェーベル教授は、まだ二年もしないうちにドクトルの試験を受けてみよと勧めてくれた。
勇気百倍である。そして徹底的に学習の効率化を考えた。
教室では教師の一言一句も聞き逃すまいと、一番前の真ん中に陣取ってノートを取った。机に名刺を貼って指定席にしてしまったというから図々しい。講義をとれるだけとり、朝六時から晩の七時まで聴講しっぱなし。下宿に帰ってからは出された課題を考え、一問ごとに積極的、消極的、折衷的の三つずつの回答を作ってそれを先生に見てもらった。
例のエキス勉強法がここでも効果を発揮したことは言うまでもない。
睡眠時間は三、四時間。
「本多くらい勉強する男は世界に二人とおるまい」
と学友に言われるほどになり、女性に溺れる恐れは、これでまったくなくなった。

夏休みの間中、南アルプス山ハレップの山小屋にこもって博士論文の作成に取り組み、全身全霊を込めて完成させた。学友のスイス人ヘンリー・バドゥ(後のチューリッヒ大学教授)が文章をチェックしてくれて準備は万端。論文試験を見事パスすることができた。
ところがここで思ってもいないことが起こる。あのブレンターノ教授が静六のドクトル挑戦に異論を挟んできたのだ。
「ホンダはこの大学に入ってまだ一年余りではないか。ドイツ人でさえ四年以上の年月を要する試験を特例で受けさせることは断じてできない」
ブレンターノ教授とは親しい関係になっていたが、彼の学問に対する厳しさはそれとは別問題だったのだ。
ここでウェーベル教授が助け船を出してくれた。
「ホンダはすでに東京の大学を卒業し、非凡な勉強家で優れた頭脳を持っている。それに彼は、すでに論文はパスしている。口述試験の成績が悪ければ落とすまでのこと。とにかくやらせてみたらよかろう」
ブレンターノ教授もこれで引き下がったが、口述試験は心してかからねばならないと覚悟を決めた。

口述試験は、三名の教授との間で三十分ずつ質疑応答が交わされる。
試験官は造林学が前総長のカール・ガイアー、森林経営学がウェーベル教授、そして財政学をブレンターノ教授かマイエル教授から選ぶことになっていた。錚々たる顔ぶれだ。
マイエル教授は東京農林学校時代の恩師でもあり、おそらく手心を加えてくれるだろう。ウェーベル教授も財政学はマイエル教授を選ぶよう勧めてくれた。
ところが静六は意固地な性格だ。ここでブレンターノ教授を選ばなければ逃げたことになる。
(世界一の大学者に教わってきたのに、彼に試験してもらわずして何のドクトルか)
厳しいことは覚悟の上でブレンターノ教授を指名した。
ウェーベル教授はあきれ顔だ。

静六も無策で臨む気はなかった。
ブレンターノ教授対策として、財政学は特に力を入れて準備した。その方法が破天荒だ。当時広く講義で使われていたカール・エーベルヒの『財政原論』という二百五十七頁もある本を一言一句も余さず暗記しようとしたのである。
この本は、静六が留学中の明治二十四年(一八九一)に日本でも翻訳出版されているほどの名著だったが、日本語ではなくドイツ語で覚えるのだから大変な労力だ。
最初のうちは一日に半ページも進まず、次第に追い込まれていく。
すぐ悲壮感を漂わせるのが静六の悪い癖だ。
(このままどうしておめおめと故国に帰れようか。潔く切腹するのが男子の面目ではないか!)
一時はそこまで思いつめ、養父の晋が守り刀として持たせてくれた本多家伝来の刀をとりだして腹に押し当てたりもした。
だがこの時、勇気をくれたのが郷土の偉人塙保己一だった。
(もう一度死力を尽くしてやってみろ。切腹はいつでも出来る。塙保己一は六百三十巻にも及ぶ『群書類従』の内容をことごとく記憶していたではないか。たった一冊の『財政原論』が頭に入らないはずがない)
そう自らを鼓舞し、再び取り組んでいった。
意あれば道自ずから通ず。次第に事態は好転していく。一週間もすると一日四、五ページの割合で進みはじめ、それがさらに十から十五ページ、時には二十ページも進むようになり勇気百倍。一ヵ月経つと、どのテーマでもすらすらと答えられるようになった。

そして口述試験当日。ぴんと張り詰めた緊張の中、午後四時から試験が始まった。日頃の勉強の甲斐あって、三名の教授の質問には難なく答えられた。そして最後にブレンターノ教授の番である。
思った通り厳しい質問が飛んだ。おまけに、ほかの教授たちは規定通り三十分ずつで質問をやめてくれたが、ブレンターノ教授だけは規定時間になっても質問をやめる気配がない。
最後に歳入不足を補う政策を質問され、静六が待ってましたとばかりに理路整然と答えると、今度は意外にもドイツ以外の国の例を尋ねはじめた。これは準備していない内容だ。
「イタリアはどんな措置を取った? スイスはどうだ?」
質問が終わらない。
そのうち腹が立ってきた。
「財政学において重要な理論と実例は把握しておりますが、あまり重要でない小国の実例までは知らないものもあります。ブレンターノ先生も日本の松平定信(寛政の改革で知られる老中)のとった政策はご存知ないでしょう」
この生意気な物言いにブレンターノ教授は顔を真っ赤にしたが、これを最後に質問は終わり、しばらく隣室で待つように言われた。
部屋が静かなこともあるが、ドクンドクンと自分の心臓の鼓動が聞こえてくる。先ほどの質問より遙かに長い時間に感じられた。

しばらくしてようやく呼び出しがあった。
先ほどの部屋に戻ると、
「教授会の協議の結果、君を合格とする」
と重々しく言い渡された。
天にも昇る気持である。これまでの苦労が報われた瞬間だった。
夕方、ウェーベル教授のところへお礼に行くと、
「僕は六十になるが、あんなに厳しい試験は見たことがない。また君のように見事に答えた学生もこれが初めてだ」
と言って喜んでくれた。

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