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新たな1万円札の顔、渋沢栄一さんを調べてみた話

皆さんはじめまして。
2021年1月からレオスで、インターンとして働いている熊野ひかりと申します。

代表の藤野の著書を読み、投資はお客様のお金をふやすだけでなく、社会貢献の側面もあることを知り魅力を感じました。レオスはまさに「投資での社会貢献」を体現していると感じて関心を持つようになり、インターンを希望しました。
私もレオスの一員として投資を通じて社会をより良くする一助になれるよう頑張ります!

今回は、この「ひふみラボnote」で「偉人たちの投資のツボ」という連載を担当させていただくことになりました。
私たちが学校の授業で習ってきた歴史で何となく知っている人物を掘り下げ、その功績や意外な一面、そして何よりもその投資家のような情熱を知ることで、現代に生きる私たちの「ゆたかさ」の再発見につながるのではないかと考えました。

人類の歴史の中でさまざまな困難を乗り越えた「レジェンド投資家」から、令和の私たちが見えてくることを、私なりの言葉で伝えていきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします!

日本の新たなお金の顔、渋沢栄一さんってどんな人?

2024年に、20年ぶりに1万円札の肖像が福沢諭吉さんから渋沢栄一さんに変わります。
今年の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公として生涯を描かれ、改めて注目されていますよね。

渋沢栄一さんは、日本経済の基礎を築いた人物で “日本資本主義の父” と称されています。
江戸末期、今の埼玉県深谷市で生まれ、その生涯で起業した株式会社の数は、なんと約500社!そのなかには、みずほ銀行、日本取引所グループ、王子ホールディングス、帝国ホテル、サッポロビール、東京電力、東京ガス…など現代にも続く大企業が名を連ねます。

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そんな渋沢さんを語る上で欠かせない彼の著書が『論語と算盤』です。

100年前のSDGs?「論語と算盤」

『論語と算盤』を言い換えると、「道徳とビジネス」。渋沢さんは、「論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いもの」、つまり、「事業の根幹には正しい道理が必要だ」と説いています。『論語と算盤』が出版されたのは1916年ですから、日本だと大正時代。財閥が台頭し、利益に固執し環境破壊など社会に悪影響を及ぼすような利益至上主義が垣間見えていた時代の流れに、警鐘を鳴らしたかったのかもしれません。
今でいうと、SDGsというような考え方を、100年以上前にすでに渋沢さんが唱えていたことに感慨深い気持ちになりますね。

道徳が介在するビジネスこそ永続することを認識していた渋沢さんは、資本主義で格差が開くことに対し懸念をし、慈善活動にも励んだようです。

その背景にあるのは、幼少期からよく読んでいた論語。多くの農家が勉強せず家業に黙々と取り組んでいる中、渋沢さんは幼いころから論語や多くの本を読むなど勉強にも励んでいました。それゆえ、ほかの多くの農家が疑問に思わないこと・当たり前だと思っている事柄(身分制度)にも疑念を感じ、自分の考えを主張できる人になったのだと思います。その他にも彼は論語による道徳的な学びをビジネスで活かしました。

私は4月からレオスの「ESGステアリング委員会」というところに所属し、日々ESG投資について学んでいます。
ESG投資とは、環境・社会・企業統治の面から見て本質的に良い事業をしている企業への投資をいいます。その観点から、環境やステークホルダーに配慮せず自社の利益のためだけに重点を置く企業には資金が集まらないような状況になっています。
道徳心を備え、環境・人を含めた社会全体の“ゆたかさ”に貢献する企業やそのポテンシャルを秘めた企業に投資することで、持続可能でより良い製品やサービスを展開する企業が発展するだけではなく、投資家側も効率的に資産運用することができ、社会全体がゆたかになると思います。渋沢さんの主張は、ESG投資の考え方だなと感じました。

農家に生まれ、大蔵省官僚へ

渋沢さんの故郷は現在の埼玉県深谷市。実家は、藍玉販売と養蚕を営み、米・野菜の農業にも従事する一家でした。幼い時から読書に励んだそうです。実家で藍玉販売などを手伝っていた時から商いの才覚があったようです。

商いが盛んだったため、かねてより憧れを抱いていた江戸にいざ行ってみると、「百姓は鍬や鋤で土でも掘ってろ」と周りの人から言われ身分の格差を思い知らされます。そのことを父親に相談しても「それが百姓の務めだ」と、身分制度により限られた可能性の中で生きることは仕方がないことだと諭されたそうです。

そんな環境に屈せず、渋沢さんは自分の意見・軸として持っている信念をぶらすことなく、行動をしていきます。

身分制度に対する疑問から政治に関心を持ち、倒幕派の志士になるのです。
農民は身分制度による限られた可能性の中で生きることが当たり前だった時代に、自らの考えを持ち行動するのが当時では珍しく、その生き方からも自分の意見にまっすぐ向き合う人だったのだと思いました。

倒幕派の志士として渋沢さんの名は役人たちの間でも知れ渡るようになり、一橋慶喜(のちの徳川慶喜)に仕えていた平岡円四郎という人物と知り合い、渋沢さんも慶喜に仕えるようになるのです。

そして、幕府の一員としてパリ万博に同行します。そのパリ万博などヨーロッパへの訪問でインスパイアを受け、その先進的な制度を日本に導入させ、日本経済が発展する基礎を作りました。

この渋沢さんの生涯の活躍の最初のトリガーになったのが、「身分制度に関わらず皆が活躍できる世の中になるには政治を見直す必要がある。身分に屈するのはおかしい」という意見を曲げず、家業ではなく倒幕の活動に熱中したことです。この生き方から与えられた環境に屈せず自ら切り開いていく姿勢がうかがえます。また、自分の信念に伴う行動の積み重ねにより、幕府の側近としてパリ万博に同行するなどその後の渋沢さんにとって大きな影響を及ぼすヨーロッパへの訪問のチャンスを掴んだのです。

自分が正しいと考えたことを信じ切る胆力を持っていた点も投資家的だと感じました。

また、自身の富の構築や一家の繁栄より、国家全体の繁栄に関心があったようです。そのため、社会全体に尽くすという彼の信念と合致する業務内容ならば、他業種であれ手を差し伸べたというエピソードもあります。

日本のやり方で、日本を育てる

渋沢さんは、パリ万国博覧会をはじめ、その他ヨーロッパ各国に渡航し、その産業技術や制度を吸収して日本の資本市場に還元しましたが、必ずしも短絡的な外国崇拝には賛成していませんでした。欧米列強の良さを取り入れながらも、あくまで日本の文化や元々あった制度に適応させていくような柔軟性のある産業育成方法が、近代日本の成長を大きく支えたのかもしれません。

例えば、証券取引所の設立の際のこんなエピソードがあります。渋沢さんはヨーロッパを訪問した際に、株式の取引所を知り、会社設立のために株式を発行し資金を集める場が日本にも必要だと感じ、証券取引所の設立に着手しました。そのままヨーロッパの制度を模倣せず、渋沢さんはそれまで日本にあった制度にうまく組み合わせる形で証券取引所内の制度を確立しました。
というのも、江戸時代から、大阪の「堂島米会所」で先物取引が行われていたため、彼らとの意見の衝突を避けるためにも、ヨーロッパの制度をそっくりそのまま導入させるのではなく、日本ならではの商慣習をある程度残す形で調整したそうです。

おわりに

いかがでしたでしょうか?
今回の記事を書くにあたって、自分の軸を持ち、学びを惜しまず、社会に貢献するという志を持ち続ける大切さを学びました。既成概念に固執しがちで、せわしない現代を生きていると、日々やるべきことに追われ、初心や夢・目標を見失いがちです。しかしそんな日常でも、私は自分が大切にしている想いや志を持ち、努力し続けていこうと思いました。

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“論語と算盤は、甚だ遠くして甚だ近いもの”
渋沢栄一さん 『論語と算盤』より

この言葉を選んだのは、資本主義に対する考え方が「利益至上主義」から、「ステークホルダー資本主義」に移り変わりつつあり、後者を生きる私たちが心に留めておくべき言葉だと思ったからです。
消費者がモノを買う時、その製品ができる過程で人や社会・環境に悪影響を及ぼしていないかなどを考えたり、投資家が企業に投資する際も環境、社会、企業統治の面で問題はないかなど非財務情報を重視するようになっています。持続可能な社会を実現するには、企業はもちろん、消費者や投資家の役割を担う私たち個人の意思ある消費行動や投資活動が重要だと思います。企業側も、そして私たち個人も『道徳とビジネスは遠いようで近い(道徳が介在するビジネスこそ永続し、社会の発展に寄与する)』を念頭に行動していけば、社会は少しずつ変わるのではと思いました。

次回は、「1万円札の顔」であり、また渋沢栄一さんに大きな影響を与えたといわれる福沢諭吉を取り上げたいと思います。40年近くお札の顔を務めてきた福沢諭吉の功績とは、そして渋沢さんとの共通点とは―?

お楽しみに!

≪参考文献≫
・渋澤健「あらすじ論語と算盤」宝島社
・渋沢栄一「論語と算盤」角川ソフィア文庫 
https://money-bu-jpx.com/news/article028637/

Illustration:SHIMOZONO ERI(http://shimozono.mond.jp/

※当記事のコメントは、個人の見解であり、市場動向や個別銘柄の将来の結果をお約束するものではありません。ならびに、金融商品等の売却・購入等の行為の推奨を目的とするものではありません。