マガジンのカバー画像

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝

63
第14回山本七平賞を受賞され、100年経営の会顧問や、日本将棋連盟アドバイザーなど、多方面でご活躍されている作家・北康利先生による新連載企画です。 日本林学の父、公園の父と呼ば… もっと読む
運営しているクリエイター

#note新エディタ

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #29

前回はこちら↓ 第三章 飛躍のドイツ留学 (13) 一日一ページの執筆静六は今で言う副業の先駆者であった。 彼は『私の財産告白』の中で、こう語って副業を推奨している。 〈サラリーマンが金を作るには単なる消費面の節約といった消極策ばかりでは充分ではない。本職に差し支え無い限り、いや本職の足しになり勉強になる事柄を選んで、本職以外のアルバイトに努めることである。(中略)給与よりも投資や副業の収入が多くなれば、経済独立をする事で勤務にもますます励める〉 本業一筋が美徳とされる

スキ
58

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #28

前回はこちら↓ 【銀行王 安田善次郎】 第三章 飛躍のドイツ留学 (12) 四分の一天引き貯金静六は帝国大学の助教授になった二十五歳の時、人生計画を次のように定めた。 四十までは勤倹貯蓄、一途に奮闘努力して一身一家の独立安定の基礎を築く。六十までは専心究学、大学教授の職務を通じてもっぱら学問のため国家社会のために働き抜く。七十まではお礼奉公、七十からは山紫水明の温泉郷で晴耕雨読の楽隠居。 彼は「良き人生は良き人生計画にはじまる」と語り、自著『人生計画の立て方』の中で、

スキ
53

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #27

前回はこちら↓ 【早稲田大学の前身東京専門学校のまわりの風景】 第三章 飛躍のドイツ留学 (11) 早稲田大学と実業之日本社・増田義一静六は帝国大学の講義だけでも大変であったにもかかわらず、大隈重信の依頼により、東京専門学校課外(科外)授業の講師を引き受けている。 明治十四年の政変で下野した大隈がその翌年に設立したこの学校は、いの一番に政治経済学部を設けたこともあって反政府勢力の養成機関と見なされ、ことあるごとに政府からの圧力を受けていた。明治三十五年(一九〇二)に早稲田

スキ
53

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #26

前回はこちら↓ 【助教授時代の本多静六】 第三章 飛躍のドイツ留学 (10) 日本最初の林学博士 静六が留学中の明治二十三年(一八九〇)六月、東京農林学校は所管が農商務省から文部省に移り、帝国大学農科大学となっていた。 そして明治二十五年(一八九二)五月末にドイツから帰国した静六は、七月二十六日付で帝国大学農科大学助教授に就任。高等官七等従七位に任じられた。 彼が幼い頃憧れた〝お役人〟に、ついになることができたのである。 当時の役人は勅任官、奏任官、判任官と分かれており、

スキ
58

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #22

前回はこちら↓ 【関東大震災から東京を復興させた男 後藤新平】 第三章 飛躍のドイツ留学 (6) 後藤新平との出会い静六がミュンヘン大学で博士号(ドクトル)に挑戦していた頃のこと、ふらっと一人の日本人が彼の前に現われた。それが後藤新平だった。 台湾総督府民政長官、南満州鉄道(満鉄)初代総裁、逓信、内務、外務大臣、東京市長などを歴任し、実行力もあったが、なにしろ言うことが日本人離れしたスケールなもので〝大風呂敷〟というあだ名がついた政治家だ。 関東大震災の翌日に内務大臣兼帝

スキ
53