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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝

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第14回山本七平賞を受賞され、100年経営の会顧問や、日本将棋連盟アドバイザーなど、多方面でご活躍されている作家・北康利先生による新連載企画です。 日本林学の父、公園の父と呼ば… もっと読む
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「若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝」著者・レオスメンバー座談会 (4)

前回(第3回座談会)はこちら↓ ================================== 本編 ――今回も第4回座談会にご参加いただきましてありがとうございます。参加者は前回と同じく本連載の作者である北康利先生、レオス・キャピタルワークス株式戦略部のシニア・ファンドマネージャー八尾 尚志、シニア・アナリスト小野 頌太郎の3名でお送りいたします。 第三章までは静六の家庭環境や成長の過程にスポットが当てられていましたが、第四章では大学を卒業して社会人となり、いよ

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #59

前回はこちら↓ 【静六の好物・天丼】 第五章 人生即努力、即幸福 (5) 天丼会静六は東京山林学校時代、幸手(さって)の叔父(金子茂右衛門)に上野広小路の梅月(ばいげつ)という店で天丼を御馳走になったことがあった。靴一足を三年、靴下一足を四年使っていたあの極貧の時代である。 天丼を食べるのが生まれて初めてだった彼は、 (この世にこれほど美味しいものがあったのか!) と驚嘆した。 本当はもう一杯食べたかったが、これ以上散財させては申し訳ないと思い遠慮した。 だが思いは残り、

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #58

前回はこちら↓ 【渋谷・本多邸】 第五章 人生即努力、即幸福 (4) 泥棒の取るものがない家農科大学の官舎を出て彼が住んだ渋谷の本多邸について触れておきたい。 家族も増え、晋夫妻との三世代同居を考えて引っ越したわけだが、そもそも彼は大きな家が大嫌い。最初は書生や女中なしで住める家をと考え、豊多摩郡渋谷町中渋谷(現在の東京都渋谷区桜丘町)に小さな家を建てた。 周囲から三メートルほど高い場所にあり、ウナギの寝床のように長細い敷地だ。奥に晋夫婦の隠居する離れを造り、渡り廊下でつ

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #57

前回はこちら↓ 【学士会館】 第五章 人生即努力、即幸福 (3) 嫉妬の洗礼二五歳から始めた四分の一天引き貯金によって、一五年目の四〇歳になった時には大学の俸給より貯金の利子や株式配当の方が多くなり、その後、静六は立派な資産家になっていく。 大学教授がみな一財産築いていたかと言えばそうではない。年収が現在価値にして二、三〇〇〇万円あったわけだから裕福ではあったろうが、静六ほどの富豪にはそう簡単になれるものではない。 実は静六が資産家への道を歩み始めた頃、義父の晋はそれを喜

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #56

前回はこちら↓ 【秩父のセメント工場】 第五章 人生即努力、即幸福 (2) 秩父セメント静六と秩父には、山林だけでなくほかにも深い縁があった。それは渋沢を通じて諸井恒平という同郷の異才と友誼を結ぶことができたからである。 諸井は四歳年上。河原井村よりずっと北西で群馬県との県境になる児玉郡本庄宿(現在の埼玉県本庄市)の出身だ。家は士族であったが、度々火災に見舞われ、家運は傾いていた。幼少期から苦労し、独学を重ねることとなる。 その後、遠い親戚にあたる渋沢の招きで、彼が郷里の

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #55

前回はこちら↓ 【本多静六の協力者となる諸井恒平】 第五章 人生即努力、即幸福 (1) 埼玉学生誘掖会静六は若い頃から、島邨先生のように、自分も郷土の若者たちに手を差し伸べたいと考えていた。 親友の河合は静六同様苦学生であったが、元尾張藩士が中心になって設立した愛知社という育英会から毎月六円の奨学金をもらっていたことは先述した。年に五〇円の仕送りで頑張っていた静六は、年に七二円もらっている河合がうらやましくてならなかったのだ。 埼玉県にも愛知社のような団体を作りたい。それ

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #54

前回はこちら↓ 【全国から明治神宮へ集まる献木】 第四章 緑の力で国を支える (24) 〝神宮の社〟造営大山古墳を理想型にするという話が漏れた段階で、大隈首相から強く反対されたことはすでに述べた。 杉木立に囲まれた荘厳な神宮を建設するよう迫る大隈に、 「失敗したら閣下の責任ですよ!」 と脅し文句を投げつけて黙らせたのは、二人の間に長い間培われた信頼関係があればこそであった。 一方で、積極的に協力してくれる人も現われた。宮内省内で天皇陵を管理する諸陵頭だった山口鋭之助がそう

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #53

前回はこちら↓ 【造園研究科・林学博士・東大名誉教授 上原敬二】 第四章 緑の力で国を支える (23) 「明治神宮御境内林苑計画」策定仕事の早い彼は神社奉祀調査会の内命を受けた時点ですでに代々木御料地の図面を手に入れており、それを前にひたすら構想を練っていた。 不可能を可能にする作業なのだからもとより大事業になる。本郷はもちろん大車輪の活躍をしてくれるだろうが、人手が足りない。 そこで静六がもう一人目をつけた男がいた。それが上原敬二だった。 上原は東京深川で材木業の家に

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #52

前回はこちら↓ 【明治神宮 大鳥居】 第四章 緑の力で国を支える (22) 明治神宮建設計画二度の対外戦争に勝利して欧米列強の仲間入りを果たした明治という偉大な時代の終焉は、当時の日本人にとって大きな衝撃であり、明治天皇に対する敬慕追悼の念もまた格別なものがあった。 明治天皇が崩御されてすぐ、 「御陵は是非東京の地にお願いしたい」 という声が東京市民の間から澎湃(ほうはい)とあがったのも無理からぬことであった。 大正元年(一九一二)七月、尾崎行雄の後任として東京市長に就任

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #51

前回はこちら↓ 【日本のバーデン・バーデン 由布院】 第四章 緑の力で国を支える (21) 日本のバーデン・バーデン和歌山公園の設計で対立した静六と南方熊楠だったが、二人の間には大きな共通点があった。 南方と言えば熊野のクスノキの保護活動が有名だ。一方の静六も、日比谷公園の大イチョウの移植に自分の首をかけたくらいで、木に対する愛情は人一倍深い。 静六は二〇年かけて日本全国(朝鮮、台湾を含む)の老樹古木を調査し、そのうち一五〇〇本を選出した上で、大正二年(一九一三)、『大日

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #50

前回はこちら↓ 【武蔵嵐山の名付け親 本多静六】 第四章 緑の力で国を支える (20) わが国公園の父日比谷公園の設計で自信をつけた彼は、その後も講演などで市民の健康増進のための公園の重要性を力説し、求められると自らその設計にあたった。 彼の携わった公園は、北は北海道から南は鹿児島県の三二都道府県に及ぶ。県別で見ると、長野県は六ヵ所、埼玉県と愛知県は五ヵ所もある。 〝大小合わせて数百に及ぶ〟と記しているのは、少し相談に乗ったものも含めたものだろうが、本多静六博士顕彰事業実

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #49

前回はこちら↓ 【本郷高徳】 第四章 緑の力で国を支える (19) 有徳の人・本郷高徳静六は日比谷公園の設計を機に、造林だけでなく造園の第一人者としての地位を意図せずして獲得することとなった。結果として全国から公園の設計・改良の依頼が殺到し、やがて彼は〝わが国公園の父〟と呼ばれるようになる。 後に東京高等造園学校(現在の東京農業大学地域環境科学部造園科学科)を創立して初代校長となり、造園学の大家となる静六の弟子の上原敬二東京農大名誉教授は、静六は〝造園に関してはあくまで素

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #48

前回はこちら↓ 【犬と散歩する女性と首賭けイチョウ】 第四章 緑の力で国を支える (18) 首賭けイチョウ日比谷公園に関する静六のエピソードの中で最も有名なのが〝首賭けイチョウ〟にまつわる逸話だろう。 話は日比谷公園開園の少し前にさかのぼる。今の日比谷交差点近くの朝日生命日比谷ビルの角あたりにイチョウの古木があった。 ちょうどこの時、日比谷通りの拡幅計画があり、移植するには大きすぎるというので切り倒されることになった。 そして静六は、まさに切り倒そうとしている現場に通りか

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #47

前回はこちら↓ 【日比谷公園での優雅なひととき】 第四章 緑の力で国を支える (17) 日比谷公園(後編)静六にしても公園の設計など初めてのことだったが、いつもの〝乃公出でずんば〟の精神を発揮して敢えて受けた。〝日本で最初の洋風公園〟というのも魅力的だった。 欧米で買い求めた公園設計書と東京市が作成していた最新案(東京市吏員五名案)を参考にしながら、一週間ほどかけて下図を作って提出した。明治三四年(一九〇一)三月のことである。 あくまでまだ下図段階だったが、松田市長から正

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