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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝

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第14回山本七平賞を受賞され、100年経営の会顧問や、日本将棋連盟アドバイザーなど、多方面でご活躍されている作家・北康利先生による新連載企画です。 日本林学の父、公園の父と呼ば… もっと読む
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ついに連載完結!北康利先生『本多静六~若者よ、人生に投資せよ~』出版記念イベントのご案内

イベントについてこんにちは。ひふみラボ編集部です。   2021年4月から「ひふみラボnote」で連載を開始した北康利先生による『本多静六~若者よ、人生に投資せよ~』が全77回をもって遂に完結しました。 そして、内容をさらに充実させた書籍が、実業之日本社様より出版されることが決定しました!   連載の完結と出版を記念して、著者・北康利先生と、当社代表取締役会長兼社長・藤野英人のトークイベントを開催します。 トークイベント(リアル会場)のお申し込みはこちらから イベントでは

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #77 (最終回)

前回はこちら↓ 最終章 若者にエールを送り続けて (10) ついに巨木倒れる 晩年になっても静六は活動をやめなかった。 実際、実業之日本社から次々に啓発本が出て、世に本多静六ブームが起きていた。 彼ほどムダに老いなかった人も珍しいが、一方で自分の健康を過信しすぎていた。伊東市内から歓光荘までの山道は曲がりくねって距離がある上に相当な勾配がある。そこを往復するのは、老人には過度な運動だったのである。 いく夫人が病気がちになっていたことも心労の種であった。 そんな中、彼は大

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #76

前回はこちら↓ 最終章 若者にエールを送り続けて (9) 身近な者の相次ぐ死 高齢になって寂しいのは、身近な人が次々と鬼籍(きせき)に入っていくことである。 後藤新平もそのうちの一人だった。 伯爵にまでなり再三首相候補に上ったが、ついにその地位に就くことはなかった。元老の西園寺公望(さいおんじきんもち)とそりが合わなかったことと、軍人が幅をきかす時代が来ていたためである。 政界引退後も東京放送局(現在のNHK)初代総裁、少年団(ボーイスカウト)日本連盟初代総長、拓殖大学第

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #75

前回はこちら↓ 最終章 若者にエールを送り続けて (8) 一二〇歳寿命説 そのうち静六は自分の長寿を確信し始めた。 確かに彼の親戚には長寿の人が多い。祖父友右衛門は数えで八六まで生きたし、曾祖母やつは八九、母やそは八五、伯母の金子いの(父親の姉)は九七まで生きた。父親は短命だったことなど都合の悪いことは横において、自分の家系は長命だと信じ込んだ。 大隈重信が寿命一二五歳説を唱えたのは有名だ。早稲田大学大隈講堂の高さは、それにちなんで一二五尺ある。それは生物の成熟までの年数

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #74

前回はこちら↓ 最終章 若者にエールを送り続けて (7) 楽老期をどう過ごすか 彼は『人生計画の立て方』の中で〝楽老期をどう過ごすか〟という章を立て、老境の生き方・暮らし方の秘訣を挙げている。 まず何より、老いたら負けであるように考えず、老いの到来を素直に認めることだと彼は言う。普通の養生法と健康法を励行しながら、愛欲も抑圧せず、自然な老人化に任せること。可能なら、後進の邪魔にならない程度に壮年期の仕事の一部を奉仕の精神で継続するのもいい。 そして早くから陰徳を積み、老年

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #73

前回はこちら↓ 最終章 若者にエールを送り続けて (6) 帰還兵の若者に夢を語る 昭和二六年(一九五一)八月のことである。一人の青年が、雨の中をわざわざ訪ねてきた。 「『私の財産告白』を拝読し感銘を受けました。つきましては大金持ちになる秘訣を承りに参りました」 静六の顔を見るや否やそんなことを口走った。 (また変な人が舞い込んできたな…) と思ったがとにかく話を聞くことにした。 「私は中学卒業後、五年間満州に出征。幸い怪我もなく無事帰還し、その後死に物狂いで金儲けに志しま

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「若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝」著者・レオスメンバー座談会 (5)

前回(第4回座談会)はこちら↓ ================================== 本編 ――今回も第5回座談会にご参加いただきましてありがとうございます。早いもので連載は最終章に突入し、最後の座談会となりました。 前回と同じく本連載の作者である北康利先生と、レオス・キャピタルワークス株式戦略部のシニア・ファンドマネージャー八尾尚志、シニア・アナリスト小野頌太郎の3名でお送りいたします。 また、『若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝』完結記念イベントを2

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #72

前回はこちら↓ 最終章 若者にエールを送り続けて (5) 『私の財産告白』 人生計画の最終章に到達し、計画通り晴耕雨読の隠居生活を楽しむはずであった。ところが、楽隠居が必ずしも〝楽〟でないことがわかったのだ。 八〇歳近くになったが、頭も体も少しも衰えたという自覚はなく、六〇歳の頃と少しも変わらない。これは人生計画を再度立案し直す必要があるのではと思い至った。そこで以前のものを旧人生計画と呼び、新人生計画を練り直し始めた。 その結果がこうだ。 八五歳までの二〇年間をお礼奉公

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #71

前回はこちら↓ 最終章 若者にエールを送り続けて (4) 希望を失うことなく そして迎えた敗戦。八月一一日に七九歳を迎えたばかりであった。 幸いにも渋谷の家は戦火を免れ、伊東の歓光荘も無事であった。 だが戦時中から続いていた食糧不足は一層深刻になり、猛烈なインフレが来襲する。 物資は闇市に行かなければ買えないという混乱の中、それでも静六は博夫婦に頼ることなく伊東で頑張っていた。静六の言葉に〝独立自強〟というのがある。他人の厄介にならず独立生活してゆく人のことである。晩年ま

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #70

前回はこちら↓ 最終章 若者にエールを送り続けて (3) 晴耕雨読の楽隠居 昭和の初め頃から、戦時色が日に日に濃くなっていく。 そして昭和一六年(一九四一)一二月八日、ついに太平洋戦争の火蓋が切られた。 有名な〝欲しがりません勝つまでは〟という標語は、昭和一七年(一九四二)に大東亜戦争開戦一周年を記念し、「国民決意の標語」として大政翼賛会と新聞社が募集した三二万点のうちの入選作である。  資源の少ないわが国では、開戦と同時に極度の耐乏生活が求められていた。 そこで軍部は静

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #69

前回はこちら↓ 最終章 若者にエールを送り続けて (2) 本多静六博士奨学金制度 四分の一天引き貯金を始めて三五年が経過した六〇歳頃には、貯金、株式等の他に山林が一万町歩余り、貸家を含む住宅と別荘六ヵ所という、現在価値にして五〇〇億円は下らないであろう資産を形成するに至った。 だが物事は度をすぎると必ずそこに問題が生じてくる。 そもそも財産が一〇〇兆円にもなるかと言えばそうは問屋が卸さない。どんな国でも、その国の富を少人数の手に握らせておくようなことは許さないからだ。彼

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #68

前回はこちら↓ 最終章 若者にエールを送り続けて (1) 優秀な子や孫たち 静六の人生は順風満帆、向かうところ敵なしの快進撃のように見える。しかし人生に哀しみの翳(かげ)を持たない人間などいない。彼もまたそうであった。 人生で最大の不幸の一つは、わが子を失うことだろう。三男四女をもうけた本多夫妻だったが、次女の美祢子を数え三歳で、次男の武を数え五歳で亡くし、おそらく日露戦争勃発の月に生まれたので勝と名付けられたであろう三男も、一旦は關(せき)イシという人のところに養子に出た

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #67

前回はこちら↓ 第五章 人生即努力、努力即幸福 (13) 四分の一天引き貯金余話静六の家族にしても弟子たちにしても、静六の没後、いの一番に彼の思い出としてあがるのが四分の一天引き貯金にまつわる苦労話であった。 この話が出ると彼らの表情はきらきらし、自分がいかにこれで苦労したかをとうとうと披露し合う。するとそこになんともいえない一体感が生まれ、皆うんうんとうなずきながら故人を偲ぶというのが常であった。 銓子は見事耐え抜いたが、大変だったのが彼を学問の師と仰ぐ弟子とその奥方だ。

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #66

前回はこちら↓ 第五章 人生即努力、努力即幸福 (12) 職業の道楽化静六は〝計画はいかにそれが上出来であっても、計画にとどまるうちは無価値である〟と語っているが、見事なくらい二五歳の時に立てた人生計画通りに生きてきた。 実はそこには秘訣があったのだ。あくまでも楽しくやることである。 計画を立てるだけでなく、時折振り返り、計画通りかどうか一喜一憂しながら、それをまるでゲームのように楽しみながら生きていた。楽しくなければ長続きはしない。続けることが大きな成果につながる。これこ

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