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「若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝」著者・レオスメンバー座談会 (1)

はじめに

こんにちは。ひふみラボ編集部です。

2021年4月より連載が始まった、作家・北康利先生による、林学者で投資家の本多静六の投資哲学を現代に伝える連載小説「若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝」。物語は第二章に突入し、静六の成長が描かれていきます。

今回は番外編として、北先生とレオス・キャピタルワークス株式戦略部のシニア・ファンドマネージャーである八尾 尚志と、シニア・アナリストの小野 頌太郎に作品の感想や感じたことなどを語り合う座談会を設定しました。連載の裏話や関連するストーリーを通して、本多静六という人物に関してより深く知っていただけたら幸いです。

著者プロフィール

わらってる

北 康利(きた やすとし)

昭和35年12月24日愛知県名古屋市生まれ、東京大学法学部卒業後、富士銀行入行。資産証券化の専門家として富士証券投資戦略部長、みずほ証券財務開発部長等を歴任。平成20年6月末でみずほ証券退職。本格的に作家活動に入る。〝100年経営の会〟顧問。日本将棋連盟アドバイザー。 
著書に『白洲次郎 占領を背負った男』(第14回山本七平賞受賞)、『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』、『吉田茂 ポピュリズムに背を向けて』、『佐治敬三と開高健 最強のふたり』(以上講談社) 、『陰徳を積む 銀行王・安田善次郎伝』(新潮社)、『松下幸之助 経営の神様とよばれた男』(PHP研究所)、『西郷隆盛 命もいらず、名もいらず』(WAC)、『胆斗の人 太田垣士郎 黒四(クロヨン)で龍になった男』(文藝春秋)、『思い邪なし 京セラ創業者稲盛和夫』(毎日新聞出版)、『乃公出でずんば 渋沢栄一伝』(KADOKAWA)などがある。

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本編

――今回は座談会にご参加いただきありがとうございます。初回ですので、まずは簡単に自己紹介をお願いいたします。

北先生:私は1984年に富士銀行(現みずほ銀行)に入行し、2008年から評伝作家として活動しております。ビジネスマン時代の経験を生かし、ビジネスの世界でも役立つ本を書こうと心がけています。また戦後日本は、先人を尊敬する、感謝する、人生の目標とするといったカルチャーがなくなっていると感じています。そうしたカルチャーを復活させるべく、私が得意な「本を読む」「本を書く」ということを生かして評伝を書くことが、私が座右の銘にしている「一隅を照らす」ことにつながるのではないかと思ったのが、作家の道を選んだきっかけです。

八尾:シニア・ファンドマネージャーの八尾です。北先生の著作で一番好きなのは『白洲次郎 占領を背負った男』です。この本を読んで白洲次郎を知り、仕事のやり方や、筋を通すという意味を含めた“スタイル”を意識するようになりました。本多静六はビジネスとして造園業を多角的に成功していて、あの時代から地に足のついた投資方法を実践して、後世に残っているのが偉大だと思います。特に、第一章を読んで「三つ子の魂百まで」という言葉が印象的でした。今回の連載で、本多静六の生い立ちなどを通してどうやって独自の“スタイル”を築き上げていったのかを見ていきたいと思っています。

小野:シニア・アナリストの小野です。2014年にレオスに入社し、3年前から企業調査の仕事をしています。レオスに入る前は、本多静六先生がかつて在籍されていた東大農学部で森林経理学を研究していたので、この連載にも非常に縁を感じています。「森林と投資に関係があるのか」とよく聞かれるのですが、実はとても関連性が高く、むしろ同じものであるとも感じていて、それを実際に体現して成果として残したのが本多静六だと思っています。今まで関係なかったと思われていた森林と投資が繋がっていく様子が連載を通して明らかになると思うと、非常に楽しみです。

――改めて北先生より、ひふみラボnoteで連載を始めていただくことになった経緯をお話いただけますか?

北先生:本連載のキーワードはサステナビリティです。昨今SDGsという考え方が広がっていますが、それを何十年も前に体現した人物が静六なのです。静六の生い立ちや功績を通して、持続可能な社会、持続可能な生き方について世の中に訴えていきたいと思っていました。

「乃公出でずんば 渋沢栄一伝」の連載終了後、次回は本多静六の評伝をやりたいなと考えていました。農業や林業関連の新聞に連載をお願いしようか迷っていたところ、(レオスの)藤野さんが「ぜひうちのnoteでやりましょう」と声をかけてくださいました。連載だけではなく、単行本化した後の展開なども色々と提案してくれて、新しいやり方で試してみたいと思ったのがきっかけです。

――「若者よ、人生に投資せよ」という連載のタイトルにはどんな意味が込められているのでしょうか?

北先生:本多静六は若い頃からいい習慣を身につけていきます。例えば「エキス勉強」「四分の一天引き貯金」「1日1ページの原稿書き」など、そうした自分の個性に合った習慣を身につけることは、土地にあった木を植えていく作業に似ています。それを意思の力で継続していくと、時間とともに人生が「豊穣な森」になっていくというわけです。この連載は第五章ぐらいまでを予定していますが、人生のサステナビリティを考える上での智惠を、読者の皆様と一緒に学んでいける章立てになっています。

――それでは、第一章を振り返っていきながら、今後の展開やサイドストーリーなどを伺っていきたいと思います。

北先生: 第一章は、八尾さんもおっしゃっていた「三つ子の魂百まで」をテーマに書いています。第一章(2)不二道の話にありましたが、自然を畏怖する気持ちや、行によって余徳を積み社会貢献する習慣など、不二道を通じて幼い頃から身につけていったものが静六の中で醸成され、その後の彼の人生の中で変奏曲のようにより豊かに展開されていきます。

小野:私の静六のイメージは、林学の教授であり投資家でした。どういう幼少期を過ごしたらそんな人物になるのか読み進めていくと、やっぱり負けず嫌いで、体力があって、よく勉強したと。この点に関してはいつの時代も変わらないなと思いました。個人的な話ですが、最近子どもが産まれたので、静六の幼少期から学べることも多いなぁと感じています。

北先生:負けず嫌いはとても重要で、ほかの偉人を見ても根性がある人が成功しやすいんだと思います。実は、第二章以降で描いていく予定なのですが、静六は健康法も書いているんです。彼は授業の内容を小さくまとめて、それを読みながら散歩したりしていました。静六は胃が弱く、目も悪かったのですがそれを後天的な努力、すなわち身体を動かすことで解決していったわけです。後半に登場しますが新鮮な生野菜を大量に食べることもやっていて、彼はそれを「ホルモン漬」と呼んでいました。そういった健康法によって、彼は85歳という長寿を全うするのです。

――幼少期の体験の話が出ましたが、八尾さんにとって今に生きている過去の体験などはありますか?

八尾:北先生がおっしゃった座右の銘「一隅を照らす」ですが、あれは天台宗の最澄が言った言葉なんですよね。実は私は、真言宗を大事にしている京都の洛南高校出身でして、高校に入って最初に衝撃を受けた言葉が、教師が口にした「一隅を照らす」だったんです。毎週宗教の授業があり、年に一度は高野山のお寺で修行をするといった高校三年間の体験が、今の自分のバックボーンを形作ったのだと感じています。

北先生:真言宗の空海と静六には、非常に似通った点があると思います。私の評伝にほぼ共通する人物像として、「総合プロデュースができる人」ということがあります。作戦の立案だけではなく、兵站の部分まで全部できる人。

例えば空海なら、天皇から高野山開山のお墨付きをきちんといただいた上で、神道を排除するのではなく、元々現地の人々が信仰していたものを大事にし、現地で産出される水銀で現金収入を得ながら高野山を開発していったんですね。

静六の例ですと、日比谷公園の設計の際には、当時の日本建築家の権威であった辰野金吾の案ではなく、公園については素人だった静六の案が採用されました。その要因として、静六がそれまで自らに向けられた批判を全て吸収し、それを咀嚼しながら周囲が納得するものを提案したからなんです。プロローグ(1)で登場した明治神宮の森も、時の総理大臣・大隈重信からの反対意見を、サステナビリティの観点から説得できたことも、彼の総合プロデュース力の賜物です。

小野:農学や林学に携わっている方は、ビジネスよりも公共性に意識が向いている印象があります。静六は幼少期を経て、これからドイツ留学などで知識を蓄えていくと思いますが、彼の総合プロデュース力や経済的センスはどのように身についていったのでしょうか。

北先生:地方色があると思います。例えば滋賀の草津、大阪の堺など、商売の伝統がある地方がありますが、そのうちの一つに静六の出身地である埼玉が挙げられます。埼玉には甲州街道と利根川水系があり、物資の交差点として栄えていました。静六には商売人としての土台がありました。それに加えて、第一章(2)不二道で触れました土持のような土木事業を折原家では指導していたわけですから、総合プロデュース力が発揮されるところを幼い頃から見ていたのだと思います。

小野:まさに「四分の一天引き貯金」について妻と「すごいね」と話をしていたら、妻が「すごいのは本多静六ではなくて四分の一引かれた状態で家計を回した奥さんなんじゃない」と。

北先生:本当にその通りですよ。すごかったのは静六の妻・銓子(せんこ)さんだったんです。「四分の一天引き貯金」を本多静六の弟子もやらされたに違いないのですが、その家族はたまらなかったと思いますよ(笑)

実はこれについて恨み節を書いている人がいないか調べたところ、なんとある弟子の未亡人が書いていました。若い時に「旦那から四分の一天引き貯金をやれ」と言われて、実践した結果散々だったそうです。コツコツ投資をすることはドルコスト平均法からも極めて重要です。ただし、無理をしてはいけない。特に若くて所得が多くない時には、かなり厳しいと思います。長く続けられることを前提にしないといけないわけです。

本多静六という人はひょっとすると、自らの資産を増やすために「四分の一天引き貯金」を実践したわけではないかもしれないと思うんです。というのも、彼はお金の所有に執着していたわけではなく、多額の寄付をしました。貯めることが目的ではなく、貯める過程で自分が成長することに喜びを見出していたのかもしれないと。お金に余裕ができると余徳の塊になるわけで社会への貢献も容易にできますからね。

――ここまで色々なお話を伺うことができました。現在考えていらっしゃる第二章以降の展開を話せる範囲で教えてください。

北先生:第二章以降では、静六が東京山林学校に入り、どのように成長していくのかを書いていきます。また、当時の日本における林学の重要性も書きたいテーマですね。さらに、今日のお話でも登場した銓子夫人との出会い、ドイツ留学の異文化交流と、まさに静六の人生のギアが急激に上がっていくダイナミズムを感じていただきたいです。本多静六が人生に投資をしてどう実りを得たのか、ここに注目してくださると嬉しいです。

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いかがでしたでしょうか?

この連載は、noteというオンラインで誰でも読める形式で、読者の方の感想がnoteのコメントや、FacebookやTwitterなどのSNSに投稿され、著者もそれを読みながら物語にも関わっていくという新しい取り組みでもあります。ぜひ読者の皆様の感想やコメント等もお待ちしております!

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連載リンク集

第一章 勉強嫌いのガキ大将 (1)

第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (1)

連載シリーズ

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