見出し画像

【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #01

こんにちは。ひふみラボ編集部です。
前回、大好評だった本多静六伝に引き続き、作家・北康利先生による、二宮尊徳氏の連載小説をひふみラボnoteでスタートします!
こちらは毎週金曜日に更新していく予定です。
皆様もぜひ、お読みいただいた感想をnoteのコメント、FacebookやX(Twitter)などのSNSでシェアしてくださいね。


第一回 自らは報われずとも

二宮尊徳はどんな人か。かう聞かれて、尊徳のことをまるで知らない人が日本人にあったら、日本人の恥だと思ふ。それ以上、世界の人が二宮尊徳の名をまだ十分に知らないのは、我らの恥だと思ふ。                        

武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)

プロローグ

二宮尊徳(にのみやそんとく)の墓所は、彼の終焉の地である日光の報徳二宮神社社殿の裏にある。鬱蒼(うっそう)とした木々に囲まれ、昼なお暗い。まるで隠されているようなひっそりとした佇まいだ。
遺体が土葬されているため、いわゆる土饅頭(どまんじゅう)になっており、今ではその上に草が生い茂っているが、彼が間違いなくこの世に存在したことを生々しく実感させてくれる。
土饅頭の前に墓碑があるが、不思議なことに墓の傍らには、遺言に背いて墓碑を建てたことを詫びる門人たちの言い訳の碑が建っている。
これについては後に触れるが、込み入った事情の存在を感じさせる。

彼は明治に入ってから神になった。
小田原や日光に彼を祭神とする報徳二宮神社が建立され、彼が人口減少問題を解決し生産量増大を実現した桜町(さくらまち)(現在の栃木県真岡(もおか)市)にも二宮神社が建った。
背景にはもちろん、卓越した財政再建手腕や農業指導の功績もあるだろう。だが、それだけで人は神とあがめられるものではない。
日本の神道は、厳しい自然の脅威に対し〝祟(たた)らないでいただきたい〟と願う自然崇拝に起源を持つ。そのためか、人の祀(まつ)られている神社には異色のものが多い。
保元の乱で讃岐国(さぬきのくに)に配流となった崇徳(すとく)上皇を祀る白峯(しらみね)神宮、謀反を疑われて皇位に就けず淡路島に配流される途中で憤死した早良(さわら)親王を祀る崇道(すどう)神社、関東で兵を起こし〝新皇〟と称した平将門(たいらのまさかど)を祀る神田神社(神田明神)、大宰府に左遷された菅原道真(すがわらのみちざね)を祀る太宰府天満宮。
これらはすべて怨霊封じのための鎮魂の社である。無念の死を遂げた人物を祀って、現世に災いをもたらさないようにしているのだ。
そして二宮尊徳を祀る報徳二宮神社や二宮神社もまた、同様の鎮魂の社である気がしてならないのだ。
それほどまでに彼の人生は悲劇的なものであった。権力を握ろうとしたわけでも富貴を願ったわけでもない、ひたすらに世の安寧(あんねい)を願う無私の人生であったにもかかわらず、生前には報われることがなかった。徳をもって徳に報いようとした(以徳報徳)彼に対し、周囲はあまりにも忘恩であったのだ。

二宮尊徳の墓所の前に立つ著者

幼い頃から苦難に遭い、人一倍苦労し、努力し、考え抜いた結果、彼は卓越した知恵を身につけ、前人未踏の境地に到達する。そしてその叡智(えいち)を惜しみなく社会のために還元した。
農業問題でも財政問題でも、彼にかかれば解決できない問題などなかった。直接・間接に再興を請け負った村は六〇〇を数え、孫尊親(たかちか)が手がけた北海道の豊頃町(とよころちょう)などを含めばその範囲は一〇道県に及ぶ。
幕府にも名声は届き、最後は幕臣に取り立てられたが、生活は質素なまま。恐るべき意思の力で自らを律し、多くの弟子を育て、ひたすらに「興国安民」を願った。
だが、いつの時代も変革者の前には抵抗勢力が立ちはだかる。
故郷の小田原藩は、どうしようもなくなった天保の飢饉(ききん)では彼を頼ったものの、藩士の痛みを伴う肝心の財政改革案(報徳仕法)は採用を拒んだ。
藩士の多くが〝農民あがりの分際で、武士階級にえらそうに説教する小憎(こにく)らしい相手〟と彼をとらえていたからだ。
法事の時でさえ彼が小田原に戻ることを禁じ、死して後、遺体を小田原で埋葬することさえ許さなかった。彼の遺体が日光に埋葬されているのはそのためだ。遺髪や遺歯が埋葬されている墓が小田原にあるのは、あまりにひどい藩の仕打ちに憤った縁者が禁を犯して持ち帰った結果だった。
現在、小田原城内に建っている報徳二宮神社の創建は明治二七(一八九四)年四月。実に日清戦争が勃発した年であり、もうその頃には小田原藩は存在していなかった。

(本連載は会員制雑誌である月刊『致知』に掲載されている連載を、致知出版社様のご厚意で一ヵ月遅れで転載させていただいております。)

日光報徳二宮神社(著者撮影)

次回はこちら↓


著者プロフィール

北 康利(きた やすとし)

昭和35年12月24日愛知県名古屋市生まれ、東京大学法学部卒業後、富士銀行入行。資産証券化の専門家として富士証券投資戦略部長、みずほ証券財務開発部長等を歴任。平成20年6月末でみずほ証券退職。本格的に作家活動に入る。〝100年経営の会〟顧問。日本将棋連盟アドバイザー。 
著書に『白洲次郎 占領を背負った男』(第14回山本七平賞受賞)、『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』、『吉田茂 ポピュリズムに背を向けて』、『佐治敬三と開高健 最強のふたり』(以上講談社) 、『陰徳を積む 銀行王・安田善次郎伝』(新潮社)、『松下幸之助 経営の神様とよばれた男』(PHP研究所)、『西郷隆盛 命もいらず、名もいらず』(WAC)、『胆斗の人 太田垣士郎 黒四(クロヨン)で龍になった男』(文藝春秋)、『思い邪なし 京セラ創業者稲盛和夫』(毎日新聞出版)、『乃公出でずんば 渋沢栄一伝』(KADOKAWA)などがある。