見出し画像

40年間1万円札の顔、福沢諭吉さんを調べてみた話

「偉人たちの投資のツボ」の第二回目です。
初回の渋沢栄一さんの回をご覧下さった方、ありがとうございます。
今回は、長い間「一万円札の顔」として描かれた福沢諭吉さんから学ぶ投資のツボについて考えてみます。

約40年間も一万円札の顔として描かれた福沢諭吉さんってどんな人?

慶応義塾の創始者であり、伝染病の研究や翻訳家としても偉大な成果を残した福沢諭吉さんですが、すべてに共通するのは『目の前の状況に危機感を持ち、グローバルな視野で日本が強くなるにはどうすべきかの道しるべを示した』ことです。

また、福沢諭吉さんの主張の根底には「人間は独立して生きるべきだ。そのためには何が必要か」というメッセージを随所で発信しています。人間が生きていく上で備えるべき根本的な姿勢を説いているのは、現代を生き抜くうえでもとても参考になります。

そんな福沢諭吉さんは、大分県中津の下級武士の子として、大阪の中津藩蔵屋敷で生まれました。2歳で父親が他界し、内職をしながら貧しい家庭を支えました。一方で幼いころから、漢学を勉強するなど勉学に熱心でした。その後、洋学を独学し、幕府で翻訳の仕事にも携わるようになります。その語学力を活かし、西洋文化の概念を日本語に置き換えるなど翻訳者としても活躍しました。Economy(エコノミー)を「経世済民(経済)」と訳したのは福沢諭吉さんです。

画像1

身分制度が根強かった幕末を生きていた福沢諭吉さんは、20代で渡米し、身分に関係なく能力で活躍できるというアメリカの文化に驚いたそうです。彼自身も決して元々身分が高いわけではない状況下で、猛勉強したことにより幕府で活躍できるようになったという実体験もありました。そのため、より身分に関係なく活躍できる社会を魅力的に思ったのでしょう。その後、独立した個人は国を強くする、社会に貢献する独立した人材を社会に送り出したいと考え、慶應義塾を設立します。そして彼の代表作ともいえる『学問のすゝめ』などの著書を通じての啓蒙活動にも励みました。

明治時代になって身分による社会での活躍の制限がなくなったから努力すればだれにでも可能性はある。」と論じているように『学問のすゝめ』では、彼の生い立ちの中で得た学びの重要性を様々な角度から説いているように感じました。
この他に、『学問のすゝめ』を読んで私が学びを得た考え方はたくさんありましたが、その中の一部をこちらでご紹介してまいります。

明治時代に本来の意味での国民はいなかった?

明治時代初期では、文明開化により、軍備や建物、工業の近代化などの整備が進んでいました。しかし、これらは文明の外観を整えただけであって、文明の発展において最重要な“国民の気力”が欠けていると福沢諭吉さんは指摘しました。
当時は、このように本質的に重要な “国民の気力”が見られないという状況だったため、福沢諭吉さんは、「日本には人民はいても、国民(=国に貢献するために努力し主体的に生きる人)はいない。」と嘆いたそうです。そして彼は、このような人民を、国に寄食(居候)する意識しか持たない国民と捉え「国の食客(居候)」と厳しい言葉を使って例えました。「蒸気機関を発明したワットも、鉄道の実用化に貢献したスティブンソンも、経済学原理を研究し経済の方法を一変したアダム・スミスも民間人である。明治維新の文明開化では文明を起こしたのは政府であるが、本来文明を起こすのは民間人であり、保護する役割を担うのが政府である」と主張し、国が発展する上での主体的に行動する民間人の重要性を説いています。

国や社会に貢献することは簡単なことではありませんが、向上心なく日々を何となく過ごしていると、福沢諭吉さんが危惧していた「国の食客(居候)」になってしまいます。
私自身も自分の身の回りでできることから何か始めてみようと、つみたて投資を開始しました。自身の資産形成の目的もありますが、自分が持つお金の一部を、社会全体の発展のために成長企業への投資に充てることも社会貢献につながると思っています。また、自分はどう社会に貢献したいかを考え、そのために必要な勉強に時間やエネルギー、お金を注ぐという自己投資も欠かさないようにしたいと思っています。

自分とその親族の安定だけを求めていては一人前とは言えない?!

「蟻などの虫でも、食物を得るだけでなく、穴を掘って住む所を作り、冬に備えて巣に食糧を蓄えます。人間が働いて自分で衣食住をまかなうのは難しいことではありません。こんなことはアリでさえやっています」と福沢諭吉さんは厳しい言葉を用いて仰っています。

皆が、一身一家の衣食住の確立だけで満足していたら、何年たっても社会に変化は訪れないことを、彼は以下の西洋人の言葉を引用し、著書内に記しています。
『世の中の皆が、自分のことのみに満足し、小さな安楽にとどまっているなら、こんにちの世界は、天地のはじめの時代と異なることがないだろう』(檜谷訳より)
このように、福沢諭吉さんは「一身一家の安定を求めて満足するだけでは人間として足りていない。先人たちが文明や様々な便利なサービスなどを残してくれたように自分たちの世代も、新たな付加価値を生み出し世の中をより豊かにする必要がある。自分の家族さえ困らず生きていければ良いと考えて満足しているようでは不十分である。」と言っています。

明治時代に、日本人の安定志向を危惧し、指摘していたのはすごいとしか言いようがありません。

おわりに

いかがでしたでしょうか?
『学問のすゝめ』を今回改めてしっかり読み、考えさせられることが多かったです。150年たった今でも仰っていることが色あせないのは、生きていく上で備えるべき根本的な姿勢を説いているからなのでしょうか。改めて、今の時代を生き抜く上でも参考になるキーワードがたくさん記されていることに驚きました。

画像2

『賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり』
(福沢諭吉『学問のすゝめ』より)

この言葉を選んだのは、人生の教訓になりそうだと思ったからです。
世の中には賢愚・貧富などの差が存在するが、学ぶことでその差は埋めることが出来るということです。
社会人になると仕事に追われなかなか勉強に充てる時間を確保できなくなるとよく聞きますが、福沢さんのこの言葉を念頭において社会人になってからも、学びに時間やお金・エネルギーを投資していきたいと思いました。学ぶにしても実学が大切だと福沢諭吉さんがおっしゃっているように、実用的な学びを意識していきたいです。

≪参考文献≫
・檜谷照彦 現代語訳「学問のすゝめ~人は、学び続けなければならない」三房書房
・福沢諭吉「学問のすゝめ」岩波文庫

Illustration:SHIMOZONO ERI(http://shimozono.mond.jp/)

※当記事のコメントは、個人の見解であり、市場動向や個別銘柄の将来の結果をお約束するものではありません。ならびに、金融商品等の売却・購入等の行為の推奨を目的とするものではありません。