ひふみラボ note

投資信託「ひふみ」を運用するレオス・キャピタルワークスの公式noteです。ちょっととっつきにくいと思われがちな「投資」のこと、「お金」のこと。本当の楽しさ、おもしろさを伝えたくて、あれこれ研究していきます。金融商品取引法に基づく表示等 https://bit.ly/2On4z9V

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    投資家と考える10歳からのお金の話

    レオス・キャピタルワークス株式会社 ひふみ金融経済教育ラボ,遠田 おと,伊藤 和人(seesaw.)

記事一覧

    • 【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #44

      前回はこちら↓ 第44回 報徳社運動の原点下館仕法の特長は下館信友(しんゆう)講が組織されたことにある。 維新後、報徳社運動は地方改良運動の一環として広く展開されたが、この報徳社運動の原点となったのが、天保14(1843)年に創設された下館信友講と小田原宿報徳社(後の小田原報徳社)だと言われている。 下館信友講は下館(47名)と江戸(18名)とで別個に組織された藩士のみによる互助会組織だ。 具体的には、1人が1日4文ずつ積み立て、加入者の入札によって融資対象者を決め、無利

      【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #44

      • 【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #43

        前回はこちら↓ 第43回 下館藩仕法烏山藩は桜町領の北隣だが、南隣の常陸国真壁郡(ひたちのくにまかべぐん)(現在の茨城県筑西市)にあったのが、石川氏の治める下館(しもだて)藩だった。真壁郡の30ヵ村に加え、河内(かわち)にも22ヵ村の飛び地を有し、あわせて2万石を領していた。 一族から有名な石川数正も出している石川家は、三河時代から仕える譜代の家柄であり、石川本家は伊勢亀山藩6万石。下館藩も小藩とはいえ、格式のある大名であった。 もともと下館藩は、良質なことで知られる真岡木

        【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #43

        • 【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #42

          前回はこちら↓ 第42回 烏山藩仕法菅谷も話を聞いて、これは金次郎に頼むほかあるまいという意見であり、藩主に話して金次郎宛の依頼状を書いてもらうことにした。 こうして菅谷は、円応とともに藩主の書状を携え、金次郎に面会を求めた。 家老直々の来訪ではあったが、金次郎の口からは厳しい言葉がついて出た。 「礼記(らいき)に『九年の蓄えなきことを不足という。六年の蓄えなきを急といい、三年の蓄えなきを国その国に非ずという』とあります。なのに今、たった一年の飢饉で立ちゆかなくなるというの

          【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #42

          • 【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #41

            前回はこちら↓ 第41回 僧円応天保七(1836)年の天保の大飢饉の際、桜町の北隣りの烏山(からすやま)藩では、飢民による米屋の打ち壊しが発生していた。 烏山藩は現在の栃木県那須烏山市に位置する。相模国(現在の神奈川県)に点在していた飛び地と合わせ、石高は3万石。小田原の大久保家の分家が領する地域だが、収入は18世紀前半の享保年間の半分ほどになっており、とても民衆の飢餓を救える状態ではなかった。 ここに烏山藩主の菩提寺である曹洞宗天性寺(てんしょうじ)の住職で、円応(えん

            【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #41

            • 【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #40

              前回はこちら↓ 第40回 吉良八郎天保の大飢饉に際し、金次郎は谷田部・茂木村27ヵ村に関し、その人口、必要な食糧について詳細に調査し、人口6332人、必要な食糧は1万1397石、収穫予想と貯蓄米合わせても592石が不足するという、実に綿密な数字を出した。 そして桜町領の物井村の人間に米麦の買い付けを依頼。 すでに高値になってはいたが、購入した米麦を茂木村に送付させている。 この際、金次郎は次のように書いている。 「身命を保つの要道(ようどう)、食物の尊き事は、およそそれ金銀

              【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #40

              • 【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #39

                前回はこちら↓ 第39回 谷田部仕法前回の訪問から半年も経っていない6月1日、再び使者として中村玄順が桜町陣屋を訪ねてきた。 上屋敷を全焼させた細川家の事情を知っている金次郎は、さすがにじっくりと話を聞いてやった。 飢饉に大火の影響が加わり藩の借財が増える一方であること、農村の荒廃の根本原因は谷田部と茂木の両方の村民のモラルの低下にあること等、玄順は藩の恥を隠すことなく洗いざらい話した。 「貴藩の窮状はよくわかりました。 ともあれ報徳仕法の基礎は、領主がしっかりと分限を決め

                【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #39