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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~

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第14回山本七平賞を受賞され、100年経営の会顧問や、日本将棋連盟アドバイザーなど、多方面でご活躍されている作家・北康利先生による新連載企画です。 前回の本多静六氏に続き、今回…
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記事一覧

【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #17

前回はこちら↓ 第一七回 二宮総本家再興金次郎は文化二(一八〇五)年、満一八歳の時、二宮…

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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #16

前回はこちら↓ 第一六回 きのとの結婚文化一一(一八一四)年、川久保家に預けられていた弟…

【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #15

前回はこちら↓ 第一五回 服部家の家政立て直し五常講は世界最初の協同組合、信用組合である…

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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #14

前回はこちら↓ 第一四回 服部家での奉公と五常講服部家の当主(代々十郎兵衛を名乗った)に…

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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #13

前回はこちら↓ 第一三回 すべての商売は、売りて喜び、買いて喜ぶようにすべし二宮金次郎は…

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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #12

前回はこちら↓ 第一二回 犠牲を払いながらの生家再興  生家を再興するべく必死に頑張って…

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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #11

前回はこちら↓ 第一一回 「積小為大」開眼農家の一大行事はなんと言っても田植えである。 例年この時期になると周囲の村人の協力も得て、苗代(なわしろ)で育てた苗を、田植え歌を歌いながらリズミカルに植えていく。農作業でありながら一種のリクリエーションであり、人々の表情も明るい。 だが金次郎は田植えの際に出る「捨て苗」のことがいつも気になっていた。 (もったいない…) 稲は間隔を狭めて植えるとかえって収穫量が減ってしまう。少し苗が余るくらいの数を苗代で作るのが合理的だったのだが

【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #10

前回はこちら↓ 第一〇回 禁じられた夜の読書江戸時代というのは互助制度のしっかりした時代…

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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #09

前回はこちら↓ 第九回 父に続き、母をも失う金次郎は朝は暗いうちから早起きして田畑の世話…

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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #08

前回はこちら↓ 第八回 父利右衛門の死寛政一一(一七九九)年、金次郎は満一二歳になってい…

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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #07

前回はこちら↓ 第七回 栴檀は双葉より芳しある日、道仙がいつものように診察に行くと、金次…

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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #06

前回はこちら↓ 第六回 病床に伏した父利右衛門口減らしとして、弟の友吉は寺に出された(し…

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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #05

前回はこちら↓ 第五回 酒匂川の洪水金次郎が生まれた頃の二宮家は、二町三反(一町は約一ヘ…

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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #04

前回はこちら↓ 第四回 暴れ川と飢饉との戦い金次郎が生まれた天明七年という年は、十一代将軍徳川家斉(いえなり)が就任し、前年に罷免になった田沼意次(たむらおきつぐ)に代わって松平定信(まつひらさだのぶ)が幕政の立て直しに着手している。いわゆる寛政の改革である。幕政が順調なら改革など不要なわけで、度重なる飢饉の前にはなすすべがなかった。金次郎が生きた時代は、幕藩体制が次第に揺らいでいく過程でもあったのだ。 当時は運悪く、全世界的に火山活動も活発になっていた。 天明三(一七八