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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~

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第14回山本七平賞を受賞され、100年経営の会顧問や、日本将棋連盟アドバイザーなど、多方面でご活躍されている作家・北康利先生による新連載企画です。 前回の本多静六氏に続き、今回…
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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #29

前回はこちら↓ 前回までのあらすじ 豊田正作によって桜町仕法が妨害工作に遭い、辞任を申し…

【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #28

前回はこちら↓ 第二八回 一円相開眼丁稚を大久保邸に行かせている間に金次郎は情報収集をし…

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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #27

前回はこちら↓ 第二七回 成田山参籠文政一二(一八二九)年正月、金次郎は小田原藩の江戸藩…

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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #26

前回はこちら↓ 第二六回 小谷三志との出会いさすがの金次郎も、領内の対立がここまで深まっ…

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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #25

前回はこちら↓ 第二五回 豊田正作の赴任赴任して四年目に入った文政九(一八二六)年、四〇…

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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #24

前回はこちら↓ 第二四回 朽ちかけていた桜町陣屋後年、洪水で再び栢山(かやま)村が荒廃し、…

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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #23

前回はこちら↓ 第二三回 一家を廃して万家を興す背水の陣金次郎の思考は現代的だ。口約束では満足しない。再興事業の期間と数値目標などを記した契約書を作成し、小田原藩と宇津家との間で取り交わした。 最初に決めたのは、桜町領の分度(税収合計)だった。 「年間の年貢を一〇〇五俵、畑方金(畑で獲れる作物への税)一二七両と定め、これを越えた収量があった場合には、分度外として報徳金勘定に組み入れることを認めて頂きたい」 ちなみに一〇〇五俵とは過去一〇年間の年貢高の平均であった。こうして具

【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #22

前回はこちら↓ 第二二回 桜町仕法の成功を神仏に祈って当時の譜代大名の領地にはしばしば〝…

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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #21

前回はこちら↓ 第二一回 徳を作る改正枡の使用開始に続き、金次郎が建議した藩士向け五常講…

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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #20

前回はこちら↓ 第二〇回 酒匂川河原での表彰酒匂川での表彰は、老中就任のため江戸に向かう…

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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #19

前回はこちら↓ 第一九回 きのの離縁と波との再婚乳幼児死亡率の高かった当時のこと、生まれ…

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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #18

前回はこちら↓ 第一八回 金次郎の大失敗文化一五・文政元(一八一八)年三月、再び金次郎は…

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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #17

前回はこちら↓ 第一七回 二宮総本家再興金次郎は文化二(一八〇五)年、満一八歳の時、二宮…

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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #16

前回はこちら↓ 第一六回 きのとの結婚文化一一(一八一四)年、川久保家に預けられていた弟の友吉を金次郎が呼び戻し、一二年ぶりに栢山村に帰ってきてもらった。 だが、これを渡りに船だと考えた人たちがいた。友吉に二宮三郎左衛門家への婿養子の話が持ち上がったのだ。 三郎左衛門家も以前は富裕な豪農だったが、今では見る影もなくなってしまっている。(友吉が養子に入ってくれれば、きっと兄金次郎が協力して家を再興してくれるに違いない) 三郎左衛門家からすれば、そんな思惑も働いていた。 友吉に