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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #25

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第二五回 豊田正作の赴任

赴任して四年目に入った文政九(一八二六)年、四〇歳になっていた金次郎の周辺に次々に問題が起こり始めた。
入百姓(他領からの移住者)を優遇する金次郎の政策が、元の領民との間に軋轢(あつれき)を生んでいたのだ。そうなると、せっかく入植してくれた人たちも居心地が悪くなる。同年三月四日、入百姓の善太郎が妻子あわせ一〇名で欠落(かけおち)し、懸命の捜索にもかかわらず行方がわからなくなるという事件が起きた。
同三月、野火が発生し、村有林が焼失。犯人は手鎖に処した。また同月、米一俵を窃盗した者がいて入牢させた。
明らかに領民のモラルは低下している。金次郎が桜町主席になったのは、そんな状況の中だったのである。

米以外の作物を作ることで現金収入を得させ、領民の生活を楽にしてやろうと考えた金次郎は、文政一〇(一八二七)年、領内でも土地の痩せている東沼村で木綿栽培を奨励し始めた。
梅雨の時期に種を蒔くと秋に実が弾けて綿が出てくる。それを冬の農閑期に紡いで綿布にする。奨励金を出したことが功を奏して二二〇反の綿布ができあがり、四八両二分三八七文で買い上げた。一両三〇万円換算で約一四五八万円に相当する。
一つの村をモデルケースにすると、近隣でもそれを見て自発的に木綿作りを始めるという好循環を生んだ。金次郎お得意のパターンだった。

歯を食いしばって桜町仕法に取り組んでいた金次郎に、思わぬ災難が降りかかる。
文政一〇年に入り大西藤次郎という藩士が赴任してきて、金次郎が主席でなくなったのはその予兆だった。同年一二月一一日、金次郎のやり方に徹底的に反対する人間が赴任してきたのだ。豊田正作という、金次郎より五歳年下の小田原藩士であった。
後年金次郎の高弟となる富田高慶はこの頃まだ入門していなかったが、彼の書いた金次郎の伝記『報徳記』は、師を苦しめた豊田に恨み骨髄にいる心境だったのだろう。ことのほか辛辣(しんらつ)だ。

『報徳記』(国立国会図書館蔵)

だが豊田にも、今で言うサラリーマンとしての事情があった。こともあろうに上司から、金次郎の仕法を邪魔するよう指示を受けていたのである。
桜町領の財政再建は、これまで藩の中でも優秀だとされていた人間が何度も挑戦して失敗し続けてきた。父親や祖父がこの件に関係していたという藩士も多い。そうした者たちからすれば、農民出身の金次郎に成功されては先祖の顔に泥を塗ることになる。
当時の武士はプライドが高い。藩主直々のご指名なので表だって金次郎を批判できなかったが、内心良く思っていない者が多かったのだ。
この不幸な関係は金次郎の生涯を通じて彼を悩ませ続ける。
豊田は上司の指示通り、金次郎のやることなすことすべてに難癖をつけてきた。
目の前で反対するならまだいい。そのうち村々を回って、
「二宮が命じたとしても、わしが許さない」
そう言ってあからさまに金次郎のやりかたに反対し、豊田に従う者を表彰し始めた。
最初の内は筋道立てて復興の方法を説明して納得させようとした金次郎だったが、聞く耳を持たない。
そこで彼は、豊田が村を回ることを阻止しようと一計を案じた。朝から美酒とおいしい肴を出したのだ。すると豊田は、しばらく村を回ることをしなくなった。だが倹約家の金次郎が、毎日豊田に酒肴(しゅこう)を出すようなことをするはずがない。『報徳記』によれば、豊田に酒肴を出したのは一〇回ほどでしかなかったという。
つまり豊田を止める手立てはなかったのである。

そのうち、以前から金次郎の動きを快く思ってなかった名主たちが豊田に取り入って金次郎を排斥し始め、豊田は一層増長することとなった。
ある時、金次郎が用水工事のための人足の募集を始めると、まったく反対の命令を名主経由で出した。それを受けて、無頼の者どもが虎の威を借る狐よろしく、農家に圧力をかけて回った。
「自分の田畑の耕作に専念せよ。これは豊田様のお達しだ。いくら工賃がいいからといって、耕作を疎(おろそ)かにして用水工事に出ることはまかりならんぞ!」
命令系統が二重になり、混乱は増すばかりだ。

他の問題も顕在化した。
入百姓と元の領民の間にいざこざが生じていたのは先述した通りだ。それを何とかしようとした金次郎が越後からの移住者を村役人に選出したところ、地元の者たちの不満が爆発する。
金次郎としては、能力とやる気のある者なら入百姓だろうと公正に扱うことを示すつもりだったのだが、新参者の風下に立つことを潔しとしない元の領民たちが反発し、領内を二分する争いにまで発展した。
これを見て、豊田はそれ見たことかとばかりに金次郎を責めたてた。

  • 本連載は会員制雑誌である月刊『致知』に掲載されている連載を、致知出版社様のご厚意で一ヵ月遅れで転載させていただいております。

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