三宅さん

“日本最古のストラテジスト”が語る!ロス米商務長官に言われた皮肉とは/三宅一弘(前編)

投資信託「ひふみ」のアナリストに、ビジネスや世の中の流れを語ってもらう連載、「ひふみのアンテナ」。7人目は、景気などマクロ経済や、株式市場全体を分析する経済調査室長、三宅一弘です。昭和、平成、令和と3つの時代にわたって株式市場を分析してきた現役で、社内では尊敬と愛情を込めて「日本最古のストラテジスト」と呼んでいます。

前編ではブラックマンデーやITバブル崩壊、リーマン・ショック当時の出来事などを振り返りながら“歴史秘話”を語ってもらい、後半では歴史から世界を読み解いていきます。

聞き手はマーケティング・広報部の大酒です。

三宅 一弘(みやけ かずひろ)
レオス・キャピタルワークス 経済調査室長
1982年に日興証券入社、日興リサーチセンター配属(1997年より日本株チーフストラテジスト)。1999年に現みずほ証券入社。2002年に大和総研入社、組織変更で2009年に大和証券SMBC金融研究所、2012年に大和証券投資戦略部。2018年にレオス・キャピタルワークス入社。証券・投資関連の調査歴36年(うちストラテジスト歴32年)。

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どん底の日本株を売りに行く

――長いストラテジスト人生の中で、印象深い出来事は何でしょうか。

やはり、リーマン・ショックは大きかったです。はっきり言って、あそこまで日本株が下がるとは思わなかった。2008年9月の米リーマン・ブラザーズ破綻のあとも株価が下がり続け、年が明けると7000円台に突入しました。震源地が米国なのに、主要先進国の中で日本株が最も下げた。

私は投資戦略を練るストラテジストとして、来る日も来る日も投資家向けレポートを書きました。当時、米連邦準備理事会(FRB)議長は、恐慌研究の権威だったバーナンキ氏。2008年11月には中央銀行が資産を大量に買い入れる非伝統的な金融政策に踏み込みました。一方で日銀の白川総裁は動かない。政権も民主党で、金融危機に対して無力でした。結果として円高を呼び、日本株は売られ続けた。レポートでは何度も日銀を批判しましたね。

――それでも日本株を買ってもらうのが証券会社の仕事です。

確か2011年秋ごろ、海外の投資家に日本株を買ってもらうためのセミナーを米国で開催しました。円高で日本株だけが取り残され、どん底の時です。投資家に日本株を買いたいと思わせる理由を探しても、なかなか見つからない。株価純資産倍率(PBR)で見て日本株はどれほど割安かを強調しました。突出して割安だったため、日本株は金鉱脈だと考えました。それは事実でしたが、当時のマーケットの雰囲気からすれば、苦しい主張なのは確かでした。

私の次に講演をしたのが、メインスピーカーとしてお招きした著名投資家のウィルバー・ロスさんでした。今のトランプ政権の商務長官です。開口一番「前に講演した人はずいぶん楽観的でしたが……」と皮肉を言って、日本にネガティブなことを話し始めました。日銀が動かない中、日本株は孤立無援のような状態だったのです。

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タフな日本株運用者

――日本株はつらい時代を乗り越えてきたんですね。

それはその通りだと思います。リーマン・ショック以外でも、日本株は1990年代のバブル崩壊以降、何度も苦しい時期を過ごしてきました。しかし、それで結果的には私たち日本株の関係者は鍛えられたのではないでしょうか。荒波に揉まれて鍛えられた人が残っているのだと思います。変な話、この30年間で生き残った日本株のファンドマネージャーなんて、藤野(当社代表取締役社長)くらいしか私は知りません。

2009~2012年の大底を経て、2012年12月に安倍政権が誕生し、日銀総裁も黒田さんになり、米国や欧州と同じく大規模緩和に踏み切りました。ここでようやく日本株は金鉱脈だったことが証明されました。テレビなんかでロス商務長官を見ると、あのときの一言を思い出します。改めて認識することは、苦しい時代に日本株で戦ってきた人たちのタフさです。

――そのタフさはどこから来るのでしょうか?

日本株が低迷しているときも、世界の投資家は日本人ほど総悲観にならないことが分かっているからです。たとえば2003年春先、米国のITバブル崩壊や日本の銀行の不良債権問題で日経平均が8000円前後で低迷していた頃、米国のヘッジファンド、チューダー・インベストメントを訪れました。たまたま創業者のチューダーさんが廊下を歩いていました。日本人である私を見て「日本株は需要がないだけで、実力で見れば1万2000円くらいの値がついてもおかしくない」と言ったのです。驚きましたね。ちゃんと見ている投資家もいるのだと思いました。その数週間後にりそな銀行に公的資金の投入が決まり日本株が急反騰に転じました。

今、投資家の中には、日銀の金融緩和の出口を心配する人がいます。しかし、日本企業は自己資本利益率(ROE)が上がり、また企業価値を最大化するためのガバナンス改革も進んでいます。収益構造で見ても、海外で稼ぐ比率が高まっています。

観光関連は成長余地がまだあると思います。世界全体が少子高齢化に向かう中、お金と時間を持ったリタイア組が観光にかける金額は増えるでしょう。少子高齢化「先進国」の日本に蓄積された様々なノウハウは世界にまねできないものだと思います。悲観するのではなく、日本人自身が日本企業をよく見てほしいなと思います。

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ブラックマンデーで終わらなかったドラマ

――リーマン・ショックだけでなく「ブラックマンデー」もストラテジストとして経験されていますね。

ブラックマンデー:
1987年10月19日に起こった世界的株価大暴落。この日は月曜日であったことから「ブラックマンデー(暗黒の月曜日)」と言われている。ダウ30種平均の終値が前週末より508ドルも下落(マイナス22.6%)した。この下落率は未だにNYダウ史上最大の下落率となっている。

1987年、駆け出しの頃ですね。出社すると当時の上司に、こんな日は一生のうちで何度もないから、今日は一日、ボードを見ておけと言われました。場が開いてしばらくたっても、値が付きません。午後になっても、気配値だけが下がり売買が成立しない。何とも言えない緊張感でした。

でも、本当のドラマはその後訪れます。日経平均はいち早く低迷を脱し、バブルに突入。1989年には東欧の民主化運動、天安門事件、ベルリンの壁崩壊、冷戦終結。さらに1991年にはソ連崩壊。歴史の流れは一様ではないと言いますが、まさに一気に歴史が動いた瞬間でした。日本株の最も大きな転換点は、この時でしょう。

このころから中国が国際経済に組み込まれ、日本の製造業立国としての地位が中国に奪われていきます。米国による“外圧”で日本企業の強みであった日本的経営も揺らぎます。バブル当時、世界株に占める日本株の割合が45%くらいでした。日本株を見ていれば、それで十分に世界を見たことになった。いまは7%くらいだから、隔世の感があります。

こうした激動の時代をストラテジストとして観察できたのは、ある意味で幸せなことでした。中国が今置かれた状況などは、当時の日本と似ている面もありますから、私の経験を生かしていけるところはあるかもしれません。そのあたりは話が長くなるので、また後編で話したいと思います。

※当コメントは個人の見解であり、個別銘柄の売却・購入等の行為の推奨を目的とするものではありません。
※組入れをお約束するものではありません。

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ひふみラボ note

投資信託「ひふみ」を運用するレオス・キャピタルワークスの公式noteです。ちょっととっつきにくいと思われがちな「投資」のこと、「お金」のこと。本当の楽しさ、おもしろさを伝えたくて、あれこれ研究していきます。金融商品取引法に基づく表示 https://bit.ly/2On4z9V

アナリストが見つけたビジネストレンド ひふみのアンテナ

日々、ビジネスの現場を歩いて取材、分析するのがアナリストの仕事。社内で彼らの雑談に耳を傾けていると、世の中の新しい流れが見えてきます。アナリストたちが独自のアンテナでキャッチしたネタを大いに語ってもらおうという連載です。