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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #69

ひふみラボ note

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埼玉県秩父市の風景

最終章 若者にエールを送り続けて (2)
本多静六博士奨学金制度

四分の一天引き貯金を始めて三五年が経過した六〇歳頃には、貯金、株式等の他に山林が一万町歩余り、貸家を含む住宅と別荘六ヵ所という、現在価値にして五〇〇億円は下らないであろう資産を形成するに至った。
だが物事は度をすぎると必ずそこに問題が生じてくる。

〈人並外れた財産や名誉の位置は幸福そのものではない。身のため子孫のため有害無益である〉

『人生計画の立て方』

そもそも財産が一〇〇兆円にもなるかと言えばそうは問屋が卸さない。どんな国でも、その国の富を少人数の手に握らせておくようなことは許さないからだ。彼は還暦を前にして、蓄えた財産をどう使うか真剣に考え始めていた。
まずは子どもたちへの財産分与だが、彼は以前からこう考えていた。

〈いかに子孫が可愛いからとて、それに財産を残して与えようといった古い考えはサラリとすてて、むしろ子供自身が必要な財産を自ら作り得るよう教育錬成をほどこし、親のこしらえた財産などは、一切当てにしない人間にすることが、はるかに重要になってくるのである〉

『人生計画の立て方』

とは言うものの、ある程度は分けてやりたい。もちろん多すぎると彼らを甘やかせ怠惰にするから、適当な金額にしておかねばならない。
静六は遺言状を早めに作成し、毎年末に内容を更改していたが、死後に遺産として残すことになると、子どもたちが一番お金を必要とする時期に支援してやることが出来ないし、相続争いが起こらないとも限らない。
そこで財産の一部を〝生き形見〟として、前もって分配しておくことにした。
「世間では、子どもがしばしば親の死を今か今かと待っている場合がある。私の場合、これでもう子どもたちが私の死ぬのを待つ必要がなくなったというわけだ」
静六はそう語って、すっきりした笑顔を見せた。

そして還暦を迎えて帝国森林会会長に就任した頃、所有している秩父の山林をすべて寄付することを決意するのである。埼玉県秩父郡大滝村(現在の秩父市)中津川の山林はあわせて約二六〇〇ヘクタール、東京ドーム五五六個分もあった。
寄付の目的ははっきりしていた。やはり郷土の若者たちの育英資金として使ってほしい。すでに埼玉学生誘掖会があるものの、こうしたものはいくつあってもいいはずだ。
静六は寄付金を最大限活用してもらうため、考えに考えぬき、昭和五年(一九三〇)一一月、以下の条件をつけて埼玉県に寄付を申し入れた。
一、中津川本流に沿った景勝地の森林は風致林として永く保存し、林道開削なども行っていただきたい。
二、純利益の半分を積み立てておき、一〇〇万円になったところで財団法人を設立いただきたい。
三、右財団は年々生ずる利子の四分の一以上を元資金に加えていただきたい。
四、財団の元資金より年々生ずる利子の四分の三以内をもって、まずは苦学生中の秀才に資金援助し、教育や研究に資するよう計らっていただきたい。
埼玉県側は静六の出したすべての条件を受け入れ、特別会計まで設置して対応してくれた。
まずは間伐材の売却収益をプールして財団法人の基金を作っていかねばならない。戦後の混乱もあって時間を要したが、幸運なことに木材は現物なのでインフレの影響で価値が下がることはなかった。
昭和二四年(一九四九)一一月、奨学金制度の運用開始に目途が立ったこともあり、埼玉県は静六の寄付に感謝し後世に伝えるべく、中津川の県有林事務所前に記念碑を建てた。
除幕式には是非静六にも出席してほしいと申し入れがあったが、長男の博を代理とした。功は誇らず功を譲るという精神を、彼は生涯貫いたのだ。
こうして「本多静六博士育英事業(本多静六博士奨学金制度)」は昭和二九年(一九五四)から奨学金制度の運用を開始。令和三年(二〇二一)の段階で延べ二五〇〇名が利用し、今に至っている。

仏教には貧しい人や苦しんでいる人に金品を恵んであげる教えがあり、それを〝喜捨(きしゃ)〟と呼ぶ。文字通り〝喜んで捨てる〟わけだ。仏教は蓄財を否定しないが、それは喜捨を前提として徳を積む行為であり、自らが豊かな生活を送るためではなく社会に貢献するためのものなのである。
静六の著作を読むと相当仏典を研究している節がある。四分の一天引き貯金を続けていたのも、最終的には仏教で言うところの〝喜捨〟をするためだったのではないだろうか。
彼の場合、老後をすごすためにどれくらいの財産が残っていればいいか、相当正確に予想することが出来た。そのため〝喜捨〟はその後も続いた。
次は自分が会長を務める帝国森林会に対してであった。
大学教授がこうした団体の役員になる場合、財界人と違って資金調達面で期待されてはいないのだが、静六にとって帝国森林会は特別な存在だった。できれば一時的なものではなく、毎年財政に寄与するものにしたい。
そこで彼が思いついたのが、著作権を寄付することであった。
普通の本ではない。『森林家必携』という大ベストセラーの著作権だ。
ポケット版になっており、手元に置いてすぐ手に取って参照できることから林業従事者にとって不可欠の基本書となっていた。
元はと言えば、静六のエキス勉強の紙の山を見た河合が、これは是非世に出すべきだと背中を押してくれたのである。四分の一原稿執筆と違い、試験勉強のためのものだから要点がぎゅっと詰まっていた。
明治三七年(一九〇四)九月の初版刊行当初から好調な売行きを見せ、翌月に再版、翌三八年(一九〇五)三月に三版、五月に四版、一〇月は五日に五版、二〇日に六版と重版され続け、著作権が寄贈された昭和八年(一九三三)には三六版を数えていた。
静六の思惑通り、本書の印税は帝国森林会の収入の一部として貢献していくことになる。
彼は約四半世紀にわたって帝国森林会の会長職にあったが、これなら誰も文句の言い様はなかっただろう。『森林家必携』は現在、一般財団法人日本森林林業振興会から七三版が税込価格三六三〇円で発売されている。

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