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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #21

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第二一回 徳を作る

改正枡の使用開始に続き、金次郎が建議した藩士向け五常講もはじまった。
基金として藩主から江戸在住者に五〇〇両、小田原在住者に一〇〇〇両が下賜され、他に出資者を募ると、その額はあわせて五〇〇〇両にのぼった。十分の金額だ。
こうして文政三(一八二〇)年一二月から貸付けが始められた。
小田原在住者への下賜金のうち、七〇〇両は八朱の利息(現在で言う八パーセント)を取ったが、三〇〇両は極貧の者に貸し、そのうち一〇〇両は無利息として、一人一両から三両までを一〇〇日の期限で貸し付けた。
金次郎は極貧の武士が内職として提灯や扇子の骨を削って生計を立てていることを知っていた。ところが彼らの中には材料を仕入れる金さえなくなっている者がいる。無利息金で仕入れができれば、また内職がはじめられる。内職ができれば現金収入が入り、返済も可能となり、次の仕入れに回すこともできる。
彼は歯車が回っていく最初の一押しのための原資を貸し付けたわけだ。

だが人間は弱い。少し楽になると贅沢をする。そのことをなんとかして食い止めたいというのが切なる願いだった。
そこで、無利息金によって助かった者たちに、報徳の大切さを説いた。

〈無利息金の徳によってその家を興した者は、よくむかしの貧困と今日の安楽とを思いくらべ、今日譲る徳によって、むかし施された徳に報いるべきである。こうして徳をもって徳に報いるならば、今日の幸福はずっと子孫に及んで、二度と貧困に陥る心配はない。反対に、徳をもって徳に報いなければ、その幸福は一身だけにとどまって、子孫に及ばない〉

『二宮先生語録』斎藤高行原著・佐々木典比古訳注

五常講が良い例だが、金次郎は徳というものを、人間の創意工夫によって作り出せるものだと考えていた。
たとえば彼は小作料のことを〝作徳(さくとく)〟と表現している。貧しい者に仕事を与え、小作に出した者には小作料が入ってくるという双方に有益な状況は、人間が創意工夫によって引き出した〝徳〟だというわけだ。
そうした徳を社会に還元していくことの大切さを訴え、自ら実践していったのである。

驚くべき提言を二つも行った金次郎に藩主大久保忠真は瞠目した。
忠真という人物には美徳があった。有能な人材の発掘に努めたことだ。老中在職中に間宮林蔵(まみやりんぞう)(間宮海峡の発見者)や川路聖謨(かわじとしあきら)(後の外国奉行)といった、身分は低いが才能に溢れた若い幕臣を登用するなど、人材発掘こそ為政者の責務であると心得ていた。
そしてこの開明君主は、何と小田原藩の財政再建を金次郎に託そうとする。
彼が服部家の財政再建を果たした話は藩内でも有名になっていたが、一農民にこのようなお家の大事を任せるのは前代未聞である。

だが小田原藩の財政が火の車なのは事実だった。
忠真の五代前の藩主忠増(ただます)の時代、元禄一六(一七〇三)年の大地震で小田原城は倒壊。領内の倒壊家屋九五〇〇軒、死者二三〇〇人という被害を出し、幕府から一五〇〇〇両の借り入れをして急場をしのいだ。
当然被害は小田原藩にとどまらず、あまりの甚大な被害に、元号を宝永と改元したほどだったが、災害は収まらなかった。
忠真の三代前の忠興(ただおき)の時代、宝永四(一七〇七)年の宝永の大地震でも大きな被害が出たが、さらに地震の四九日後に起きた富士山の大噴火により、領内の大半が火山灰に埋もれてしまう。やむなく領地の半分ほどを幕府に返還して替え地をもらうことで切り抜けたが、酒匂川の川底が浅くなって、しばしば洪水に見舞われたのは先述したとおりである。

YMAP流域地図による酒匂川流域

幕府の役務の負担も重かった。小田原藩は元々箱根などの関所の警備を任されていたが、忠真の代になって新たに相模湾防衛の任務を与えられ、支出はかさんでいく一方だった。
加えて忠真が大坂城代、京都所司代だった時代、大坂の豪商鴻池家から多額の借金をしていた。出世には運動資金が必要だったのだ。当時の倫理観でも、贈収賄は過度だとさすがに批判されたが、ある程度は常識の範囲内であった。
その後、鴻池家が火災に遭ったことを機に借金返済を求められ困り果てていたのだ。
藩主忠真の目には、金次郎が希望の星に映っていた。
しかし、さすがに金次郎の登用はすぐには実現しなかった。
改革に抵抗勢力はつきものだ。身分の秩序を重んじる藩の重役が反対したのである。
「藩士たちが納得いたしますまい」
彼らの言い訳も現代同様、自分は理解するが下の者はそうはいかないというものだ。
だが忠真はあきらめない。
「二宮の能力をはっきりと証明してみせれば、みな彼のことを認めるであろう」
と言って重役の反対をねじ伏せ、まずは桜町領の立て直しを命じることにした。

  • 本連載は会員制雑誌である月刊『致知』に掲載されている連載を、致知出版社様のご厚意で一ヵ月遅れで転載させていただいております。

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