【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #44
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【禿山だった六甲山】
第四章 緑の力で国を支える (14)
六甲山緑化事業静六は留学から帰って二年後にあたる明治二七年(一八九四)五月、『大日本山林会報』連載「如是我聞録」の中で米国の植樹祭について触れている。当時の日本人は、この記事で初めて海外に〝植樹祭〟なるものがあることを知ったのである。
そして今でも学校の校庭に〝○○年卒業生一同〟といった札の立てられた木がよく見られるが、我々にもなじみの深い〝記念植樹〟や〝学校林〟設置を推進したのが本多静六であった