「若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝」著者・レオスメンバー座談会 (2)
前回(第1回座談会)はこちら↓
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本編
――今回も第2回座談会にご参加いただきましてありがとうございます。参加者は前回と同じく本連載の作者である北康利先生、レオス・キャピタルワークス株式戦略部のシニア・ファンドマネージャー八尾 尚志、シニア・アナリスト小野 頌太郎の3名でお送りいたします。
先週公開した第16回をもって、遂に第二章が完結となりました。第二章では静六の学生時代のエピソードを中心に書かれ、静六が様々な人々と出会うことで成長していく様子が印象的でした。
小野:本多静六といえば「髭もじゃもじゃの仙人みたいなおじいちゃん」というイメージが強くありました。一方で、今回の第二章では、学生時代ならではの情緒や感性を生き生きと文章で表現されていましたが、学生時代の資料はどうやって見つけられたのか、またその資料からどうやって再構築されて、どのようにお話を展開されたのかを教えていただきたいです。
北先生:ありがたいことに、日本で出版された全ての本は、国立国会図書館に蔵書が保管されています。第二章に登場する松野礀、中村弥六、本多晋に本多銓子などの周辺人物を含めて、国立国会図書館にどんな蔵書があるのかをまず徹底的に調べました。国立国会図書館にはデジタルコレクションというアーカイブがあって、相当な資料がデジタル化されているので、アクセスさえすれば蔵書を調べやすいのです。なので、静六に関連する書籍のなかでもデジタル化されたものはほぼすべて読み込んでいます。静六本人が書いた日記も残っていますし、『本多静六自伝 体験八十五年』でも小出しに学生時代のことを語っていますので、様々な情報を横断的に集めることができます。
さらに私自身の作家活動を通じて蓄積されてきた知識から関連付けることもあります。例えば、大久保利通や渋沢栄一がどのように関係しているのか。渋沢栄一も同じようにデジタルアーカイブがありますからね。
そうした様々な媒体から静六だけでなく関連する人物の情報収集を徹底的に行なうと、作品の20倍くらいの分量になりますので、次に情報を削っていく作業をやっていくわけですよね。
今回の第二章は「暗い井戸の底をのぞき込んだ日」というタイトルです。10話で静六が落第して死のうと思うのですが、郷土を全部背負う想いで学校に通う静六の気持ちは、相当重く書き込まないと今の若い人たちには伝わらないと思います。ですので、そうした資料を中心に集めていました。
現代の東大農学部もバイオベンチャーの分野などで日本を支えている面があると思いますが、明治時代における農政や山林行政というのは殖産興業です。大久保利通という内務卿(明治時代の事実上の首相に相当)が出張っているというのも、農業山林で国を支えるという時代の重みを現しています。静六が落第しただけで井戸に飛び込もうとする、彼の気概が少しでも伝わればと思って気合を入れて書きました。
小野:そこから静六は挽回していき、気持ちも明るくなっていきますね。その中で優れた師、島邨泰に出会い、多大な支援や助言を受けたことも彼に影響を与えたのだと思います。なぜ静六は島邨泰のような人を惹き付けることができたのでしょうか?
また13話では、静六が留学資金のために和英辞書を作ろうとした際の費用を出してくれた水野遵という人物とも巡り合いました。
北先生:成功する人にはある一定の法則があると思うんです。今日的な課題として、御社の藤野さんが『14歳の自分に伝えたい「お金の話」』という著書を出されているように、「次世代」を意識していたのではないかと。例えば、島邨さんや水野さんが一生懸命勉強しようとしている次世代の若い子どもを引き上げてあげるシーンをできるだけ書こうとする着意もありましたが、一方で偉くなる人にはだいたい「爺殺し」が多いですよね。福沢諭吉の言葉で、「青年は老人に会え、老人は青年に会え」という言葉がありますが、まさに静六青年は島邨さんや水野さんにかわいがってもらっていました。静六には人たらしとしての能力と、図々しさがありました。図々しいくらいの勢いがある若者の方が年寄りもかわいがってくれるんですよね。
私自身も次世代を意識することが重要だと思って、場を立てて書いているので、それが第二章にも表れているのではないかと思います。
小野:そういう静六を間近で見ていた河合氏などの友人たちは、静六をどのように見ていたのでしょうか。
北先生:静六は性格的にも友達はあまり多くなかったんだろうと思います。ただ、優秀な人間ほど誰が優秀な人間なのかが分かるということもあって、同年代でいうと河合さんや川瀬さんだけでなく、第三章で登場する後藤新平や北里柴三郎とも仲良くなっているんです。八田與一という台湾のダム建造に貢献した有名な方がいますが、静六の同級生だった河合鈰太郎(琴山河合)も、台湾統治時代の功績から「阿里山開発の父」と呼ばれて顕彰碑も建っています。このように、静六は非常に優秀な友人に恵まれていましたが、静六も彼らから刺激を受けて、ギブアンドテイクの関係でもあったわけです。いい意味での化学反応があったんじゃないでしょうか。
小野:落第して苦悩した面もありましたが、素晴らしい師にも友人にも恵まれたんだなと感じています。とはいえ彼の真似を簡単にはできないなぁと。
北先生:実はね、かなり削った箇所もあって、昔の学生は先生を辞めさせることがあったんです。例えば、松野礀先生は東京山林学校を創立させた林学の父のような方です。敬意をもって遇しないといけない人物ですが、お雇い外国人から学びを重ねた静六からすると、松野のレベルは大したことがないと気づいてしまうんですよ。実際、静六の下級生は松野をいびりだしています。当時は、静六だけでなく学生が物凄い矜持を持っていたんです。良い師に恵まれるどころか、その師を排除してまでこの国を支えてやるんだという恐ろしい上昇志向がありました。ここも相当悩んでカットしたんですが、寄宿舎の食事がまずいということで、賄いさんをいびりだす賄征伐まで流行っていました。これが後年学生運動みたいな形で爆発するのか、若い人特有なのかもしれませんけど、すごくアクの強い人たちですよね。
小野:これから大学に入る学生にとってどういう教訓や学びがありますか?あまりお利口さんにしすぎるのは良くないでしょうか。
北先生:今の学生にとって、大学はあくまでステップに過ぎず、結局インターネットを使えば各分野の最先端の人に直接アクセスできるんですよね。外に出て一流に触れてくる、世界で一番を見てきて自分こそが一番になるんだという意気込みでいくには、静六に学ぶくらいがちょうどいいんじゃないかと思います。むしろ「明治に戻れ」といってもいいんじゃないかなと。
八尾:当時の日本は不自由なものが多かったからこそ、グローバルスタンダードに合わせていったんでしょうかね。
北先生:そうでしょうね。日本は無いものばかりという意識があったので、自分の後ろに道ができるくらいの気迫があったんだと思います。岩倉使節団もそうですが、世界に追い付かないとダメだということをやっていた。
今の大学生に特に言いたいのは、夏目漱石の時代、授業は英語だったんですよ。静六はドイツ語でも授業をしていた。お雇い外国人が日本に来て日本語で授業をしてくれるわけじゃない。そういう意味では今の大学より進んでいる感じはしますよね。
――学ぶことができる環境が当たり前になった今こそ、改めて明治の学生から学ぶことは多いですね。いよいよ第二章の後半では遂に静六の奥さんが登場してきます。
小野:個人的にはここが一番面白かったです(笑)。私も静六の著書をいくつか読んでいるんですが、その中で恋愛や結婚を語る本がいくつかありますよね。基本的に静六は恋愛について肯定的で神聖なものであると。恋愛とは、結婚とはこうあるべきという彼なりのノウハウが結構書かれていて、ということは、静六は恋愛上手で結婚も策略的だったかなと思ったら、全然そんなことはなくて。周りから半ば嵌められるような形で結婚していくギャップが非常に面白かったんですけど、彼にとっての恋愛や結婚はどう写っていたのでしょうか?
北先生:これが本当に書くのが大変でして、女性読者の反感を買いそうだなと。静六はドイツに留学した際に独身だと偽るんですよ。なぜかというと「何かと便利だから」と言うんですが…何が便利なんだと(笑)。
当時は海外から、日本の国力の伸びが評価されていて、国際結婚も非常に多かったんですよね。小野さんは静六の結婚観を読まれたとおっしゃいましたが、結婚観について反発を感じませんでしたか?
小野:はい、感じました。
北先生:純粋な血統とか、頭の良さを求めていましたが、「いい加減にしろ」と(笑)。銓子さんだってめちゃくちゃ優秀な方だったにも関わらず、論文の下書きや翻訳をしてもらった上で「時々自分の文章の中に誤訳があるのは詮子が専門用語を分かっていなかったからだ」と言っているのを見て、そこまでやってもらって文句を言うなと思いましたよ。
なおかつ静六は、自分の子どもや孫の結婚相手は首席じゃないと結婚させないなどと、スーパーエリートばかりと結婚させていたんです。これを果たして読者の方がどう思うのかは気になっています。
小野:なかなか現代の価値観だと、表現するのも危ぶまれる内容もありますよね。
八尾:こういった描写や表現は、当時の社会環境や価値観がものすごく反映されるので、現代においてリアルに描くことは問題ないと思います。パワハラ・セクハラについても20年前は日常茶飯事でしたし、ちょっとした冗談が今ではいじめになるとか。時代によって許容される価値観や考え方は大きく変わるんだろうと思います。
北:現代の我々は共感力、想像力が欠けているのではないかと思います。政府のコロナ対応についても批判が集まりがちですが、じゃあ自分がコロナ担当大臣だったらどうすべきか、そういう想像力がなくて、とりあえず文句だけ言う人が多いと思います。
評伝を読まれる際にも共感力、想像力をフルに働かせて、この明治の時代で自分が本多静六だったらどうするのか、どう考えるのかを想像しながら、自分をその環境に置いてみながら、読者の方に読んでいただきたいです。
――自分がその時代、その人物だったらと考えると情景も浮かんできて非常に読み応えがありますね。まだまだお話伺っていきたいところですが、お時間も少なくなってきてしまいましたので、現在考えていらっしゃる第三章以降の展開を話せる範囲で教えてください。
北先生:第二章では静六の背負っているものの重さ、エキス勉強法の凄さ、鏡を見ながら性格まで変える克己心などを書きました。静六が人生を歩むにあたって岳父や奥さんの存在は非常に大きい幸運のひとつでした。色々な運に恵まれたことが第二章で伝わればいいなと思っています。
第三章では静六のドイツ留学の話が始まりますが、他にも書きたいことが沢山あります。例えば、静六が留学をする前年に磐梯山が噴火するんですが、第15話でも登場した中村弥六が磐梯山の緑化に貢献します。当然、東京農林学校としてどうするかの話も出てきます。現代日本においても地震や津波などの災害が絶えませんが、当時は山林資源を使った災害対応が今以上に重要だったんですね。
第四章前後で触れるであろう「水源林」もその一例です。現代では川から水道を引けば水が出ますが、利根川から東京に水を引くことは難しく、多摩川から引くことになります。そこで、多摩川の上流に水源林を設置し保水力を向上させようという話もあります。
当時は社会的な課題や問題があると「林学者なんとかやってくれ」と頼られ、連載の後半では「なんでも屋」になっていく静六が登場します。公園建設、水源林・防雪林の整備から、六甲山の緑化、渋沢栄一がやっていた田園調布開発、台湾統治、関東大震災後の都市計画など、もうちょっと人いないのかというくらいに、なんでも屋になっていく静六にご期待いただければと思います。
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