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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝

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第14回山本七平賞を受賞され、100年経営の会顧問や、日本将棋連盟アドバイザーなど、多方面でご活躍されている作家・北康利先生による新連載企画です。 日本林学の父、公園の父と呼ば… もっと読む
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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #07

次回はこちら↓ 第一章 勉強嫌いのガキ大将 (5)島邨泰(しまむらやすし)と米搗(つ)き勉強明治一三年(一八八〇)、満一四歳でようやく念願の上京が許された静六についてである。 上京すると言ってもまだ若い、頼る人がいなければ路頭に迷ってしまう。かつて兄金吾が教えを受けていた遷喬館元館長の島邨泰を頼ろうということになったのだが、静六だけで行かせるわけにもいかない。 そこで母やそは、実家の兄金子茂右衛門に相談にのってもらうことにした。 やその実家は葛飾郡上吉羽村(現在の埼玉県幸手

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #08

前回はこちら↓ 第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (1)我が国林学の父・松野礀東京山林学校は、山林行政を担っていく官吏養成を目的に設立された学校であった。 農政の養成機関としては、すでに駒場農学校が明治一一年(一八七八)に開校している。同校の開校式には明治天皇が臨席され、皇族や大久保利通内務卿なども参列した。農業振興が国の基礎であることは明治以前からこの国の基本思想であり、思い入れの強さがうかがえる。 林業も農業に遅れはしたものの、殖産興業の観点から重要視されていた。コ

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #09

前回はこちら↓ 第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (2)無謀だった山林学校受験島邨(しまむら)の言うとおり、東京山林学校は官立なので学費は安かった。修学上必要最低限の教科書代や制服や靴なども支給されることになっている。当時はまだ将来何になろうという確かな志望があったわけではなかったが、安い学費で勉強できることに強く惹かれた。 そのことが、一生を林学に捧げる出発点となるのである。 募集は二月、九月開始の二期生で、募集数はそれぞれ三〇名と五〇名程度。 だが、この東京山林学校

「若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝」著者・レオスメンバー座談会 (1)

はじめにこんにちは。ひふみラボ編集部です。 2021年4月より連載が始まった、作家・北康利先生による、林学者で投資家の本多静六の投資哲学を現代に伝える連載小説「若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝」。物語は第二章に突入し、静六の成長が描かれていきます。 今回は番外編として、北先生とレオス・キャピタルワークス株式戦略部のシニア・ファンドマネージャーである八尾 尚志と、シニア・アナリストの小野 頌太郎に作品の感想や感じたことなどを語り合う座談会を設定しました。連載の裏話や関連す

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #10

前回はこちら↓ 第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (3)落第をチャンスに変えて入学当初、東京山林学校は三年制で、前期と後期に分かれていた。 今で言う教養課程にあたる前期では、植物、動物、物理、化学、地質学、数学、山林歴史などの基礎科目を学び、後期は専門科目として山林植物学、山林動物学、造林学、山林保護法、山林測量術、樹木測知法、山林利用論、営林規法論、林政論、法律論、経済論、林価算定法を修得することになっている。 ところが入学からわずか二ヶ月後、いきなり修業年限が五年に

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #11

前回はこちら↓ 第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (4)性格と人相を変える努力静六は自らの人生を、人並み外れた努力と工夫によって切り開いていった。 実家にいた頃の勉強時間不足は〝米搗き勉強〟で克服し、東京山林学校に入学してからの運動不足は〝エキス勉強〟で乗り切ったわけだが、今度は驚くべきことに、自分の性格をも矯正しようとするのである。 彼は自分の性格に関して、こんな思い出話を自伝に記している。 満一〇歳頃のこと、若い女性の使用人が米を研(と)いでいる時、米を流しにこぼ

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #12

前回はこちら↓ 第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (5)一度は揺らいだ林学への志明治一九年(一八八六)七月、東京山林学校は駒場農学校と合併し、新しく東京農林学校となって、西ヶ原から駒場に引っ越すこととなった。 これにより日本初の総合的な高等農学教育機関が誕生したことになる。そう言うと体裁はいいが、実際には政府の財政難が背景にあった。要するに統合による運営コストの圧縮が狙いだったのだ。 だが静六は嬉しかった。駒場の寄宿舎は二階建ての洋風建築。ベッドもこれまでのような蚕棚式

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #13

前回はこちら↓ 第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (6)恩師志賀泰山と留学への思い明治初期の林学教育は松野礀(まつのはざま)が創始し、中村弥六が森林経理学を持ち込み、最初は二人で専門教育に当たっていたわけだが、さすがに限界を感じ、二年ほどするとハインリッヒ・マイエルとオイスタッハ・グラスマンというお雇い外国人をミュンヘン大学から招聘することとなった。彼らはそれぞれ三年と八年の間、日本に滞在して教鞭を執り、学生たちにも慕われ、日本の林学に大きな足跡を残している。 だがまだ

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #14

前回はこちら↓ 【彰義隊の本田晋】 第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (7)銓子との縁談静六に縁談話が持ち上がったのは、東京農林学校本科二年生の終わりごろ。卒業まであと二年と迫った満二二歳の春のことであった。 松野先生に呼ばれ、こう切り出された。 「彰義隊の元頭取で本多晋(すすむ)という方の一人娘に婿を取る話があるのだが、なんでも是非大学の首席をもらいたいとのことで、僕のところへ頼みに来られた。どうだ、行く気はないかね」 静六は面食らった。まだ結婚のことはまったく考え

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #15

前回はこちら↓ 【静六の義父・本多晋】 第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (8)縁談から逃げる静六一種のテレもあるのだろう。自伝『体験八十五年』の中で静六は、彼が縁談から必死に逃げ、本多家が追いかける様子を、面白おかしく微に入り細をうがって書いている。 本多家は松野先生に続いて、中村弥六教授まで引っ張り出してきた。 中村は磐梯山噴火後の裏磐梯緑化に貢献し、五色沼に弥六沼の名を残すなどしたが、後に東京農林学校が帝国大学農科大学となったのを機に大学を辞して政界に進出。第一

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #16

前回はこちら↓ 【伊豆天城山 宵の月】 第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (9)折原静六から本多静六へ静六が残した名言の中に〝三度辞して従わぬは礼にあらず〟というのがある。遠慮するのも二度まではいいが三度以上になれば相手を不愉快にさせ社交上も無益であるというのである。 だがさすがに縁談となると話は別らしく、極めて往生際が悪かった。 「卒業後、ドイツに四年間留学させるという条件を出してみてください」 追い詰められた静六は島邨夫人にそうお願いした。 縁談を断る方便のつもり

「若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝」著者・レオスメンバー座談会 (2)

前回(第1回座談会)はこちら↓ ================================== 本編――今回も第2回座談会にご参加いただきましてありがとうございます。参加者は前回と同じく本連載の作者である北康利先生、レオス・キャピタルワークス株式戦略部のシニア・ファンドマネージャー八尾 尚志、シニア・アナリスト小野 頌太郎の3名でお送りいたします。 先週公開した第16回をもって、遂に第二章が完結となりました。第二章では静六の学生時代のエピソードを中心に書かれ、静六

「若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝」著者・レオスメンバー座談会 (3)

前回(第2回座談会)はこちら↓ ================================== 本編――今回も第3回座談会にご参加いただきましてありがとうございます。参加者は前回と同じく本連載の作者である北康利先生、レオス・キャピタルワークス株式戦略部のシニア・ファンドマネージャー八尾 尚志、シニア・アナリスト小野 頌太郎の3名でお送りいたします。 早速ですが、第三章後半の29話では、静六が生涯に376冊もの著書を残したエピソードが印象的でした。北先生も静六と同じ

「若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝」著者・レオスメンバー座談会 (4)

前回(第3回座談会)はこちら↓ ================================== 本編 ――今回も第4回座談会にご参加いただきましてありがとうございます。参加者は前回と同じく本連載の作者である北康利先生、レオス・キャピタルワークス株式戦略部のシニア・ファンドマネージャー八尾 尚志、シニア・アナリスト小野 頌太郎の3名でお送りいたします。 第三章までは静六の家庭環境や成長の過程にスポットが当てられていましたが、第四章では大学を卒業して社会人となり、いよ