【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #17

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #17

前回はこちら↓ 【本多静六を支えた妻銓子】 第三章 飛躍のドイツ留学 (1)強引な卒業二人が結婚した明治二二年(一八八九)当時、銓子は東京慈恵会病院の産婦人科、婦人科助手として隔日に半日ずつと、横浜のフェリスセミナリー(現在のフェリス女学院)で週二時間ずつ生理学の講義に行っていた。 それでも、いつも早く帰って来てご馳走を作り、静六の帰宅を待っていてくれた。 銓子の献身は当時の価値観で言えば、まさに〝妻の鑑(かがみ)〟であった。 銓子の蔵書が本多静六記念館に収蔵されているが

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「若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝」著者・レオスメンバー座談会 (2)

「若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝」著者・レオスメンバー座談会 (2)

前回(第1回座談会)はこちら↓ ================================== 本編――今回も第2回座談会にご参加いただきましてありがとうございます。参加者は前回と同じく本連載の作者である北康利先生、レオス・キャピタルワークス株式戦略部のシニア・ファンドマネージャー八尾 尚志、シニア・アナリスト小野 頌太郎の3名でお送りいたします。 先週公開した第16回をもって、遂に第二章が完結となりました。第二章では静六の学生時代のエピソードを中心に書かれ、静六

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #16

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #16

前回はこちら↓ 【伊豆天城山 宵の月】 第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (9)折原静六から本多静六へ静六が残した名言の中に〝三度辞して従わぬは礼にあらず〟というのがある。遠慮するのも二度まではいいが三度以上になれば相手を不愉快にさせ社交上も無益であるというのである。 だがさすがに縁談となると話は別らしく、極めて往生際が悪かった。 「卒業後、ドイツに四年間留学させるという条件を出してみてください」 追い詰められた静六は島邨夫人にそうお願いした。 縁談を断る方便のつもり

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #15

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #15

前回「第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (7)」はこちら 【静六の義父・本多晋】 第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (8)縁談から逃げる静六一種のテレもあるのだろう。自伝『体験八十五年』の中で静六は、彼が縁談から必死に逃げ、本多家が追いかける様子を、面白おかしく微に入り細をうがって書いている。 本多家は松野先生に続いて、中村弥六教授まで引っ張り出してきた。 中村は磐梯山噴火後の裏磐梯緑化に貢献し、五色沼に弥六沼の名を残すなどしたが、後に東京農林学校が帝国大学農科大

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #14

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #14

前回「第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (6)」はこちら 【彰義隊の本田晋】 第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (7)銓子との縁談静六に縁談話が持ち上がったのは、東京農林学校本科二年生の終わりごろ。卒業まであと二年と迫った満二二歳の春のことであった。 松野先生に呼ばれ、こう切り出された。 「彰義隊の元頭取で本多晋(すすむ)という方の一人娘に婿を取る話があるのだが、なんでも是非大学の首席をもらいたいとのことで、僕のところへ頼みに来られた。どうだ、行く気はないかね」

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #13

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #13

前回「第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (5)」はこちら 第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (6)恩師志賀泰山と留学への思い明治初期の林学教育は松野礀(まつのはざま)が創始し、中村弥六が森林経理学を持ち込み、最初は二人で専門教育に当たっていたわけだが、さすがに限界を感じ、二年ほどするとハインリッヒ・マイエルとオイスタッハ・グラスマンというお雇い外国人をミュンヘン大学から招聘することとなった。彼らはそれぞれ三年と八年の間、日本に滞在して教鞭を執り、学生たちにも慕われ、

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #12

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #12

前回「第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (4)」はこちら 第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (5)一度は揺らいだ林学への志明治一九年(一八八六)七月、東京山林学校は駒場農学校と合併し、新しく東京農林学校となって、西ヶ原から駒場に引っ越すこととなった。 これにより日本初の総合的な高等農学教育機関が誕生したことになる。そう言うと体裁はいいが、実際には政府の財政難が背景にあった。要するに統合による運営コストの圧縮が狙いだったのだ。 だが静六は嬉しかった。駒場の寄宿舎は二階

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #11

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #11

前回「第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (3)」はこちら 第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (4)性格と人相を変える努力静六は自らの人生を、人並み外れた努力と工夫によって切り開いていった。 実家にいた頃の勉強時間不足は〝米搗き勉強〟で克服し、東京山林学校に入学してからの運動不足は〝エキス勉強〟で乗り切ったわけだが、今度は驚くべきことに、自分の性格をも矯正しようとするのである。 彼は自分の性格に関して、こんな思い出話を自伝に記している。 満一〇歳頃のこと、若い女性の

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #09

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #09

前回「第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (1)」はこちら 第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (2)無謀だった山林学校受験島邨(しまむら)の言うとおり、東京山林学校は官立なので学費は安かった。修学上必要最低限の教科書代や制服や靴なども支給されることになっている。当時はまだ将来何になろうという確かな志望があったわけではなかったが、安い学費で勉強できることに強く惹かれた。 そのことが、一生を林学に捧げる出発点となるのである。 募集は二月、九月開始の二期生で、募集数はそれぞ

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #08

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #08

前回「第一章 勉強嫌いのガキ大将 (5)」はこちら 第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (1)我が国林学の父・松野礀東京山林学校は、山林行政を担っていく官吏養成を目的に設立された学校であった。 農政の養成機関としては、すでに駒場農学校が明治一一年(一八七八)に開校している。同校の開校式には明治天皇が臨席され、皇族や大久保利通内務卿なども参列した。農業振興が国の基礎であることは明治以前からこの国の基本思想であり、思い入れの強さがうかがえる。 林業も農業に遅れはしたものの、殖

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