【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #30

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #30

前回はこちら↓ 【本多銓子】 第三章 飛躍のドイツ留学 (14) 良妻賢母でかつ名医熱心なキリスト教徒であった銓子は同情心に厚く、困っている人には着物なども惜しげもなく与え、人々からの信頼も厚かった。 相変わらず翻訳や清書や資料の整理などで静六の仕事を助け、彼がはじめた四分の一天引き貯金にしても、やりくりするのはもっぱら銓子の役目だった。 静六に負けずアイデア豊富で、家庭内を平和に保つために〝ジャン憲法〟というユニークなルールを考案している。 家族間で何か意見が一致しない

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #29
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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #29

前回はこちら↓ 第三章 飛躍のドイツ留学 (13) 一日一ページの執筆静六は今で言う副業の先駆者であった。 彼は『私の財産告白』の中で、こう語って副業を推奨している。 〈サラリーマンが金を作るには単なる消費面の節約といった消極策ばかりでは充分ではない。本職に差し支え無い限り、いや本職の足しになり勉強になる事柄を選んで、本職以外のアルバイトに努めることである。(中略)給与よりも投資や副業の収入が多くなれば、経済独立をする事で勤務にもますます励める〉 本業一筋が美徳とされる

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #28
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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #28

前回はこちら↓ 【銀行王 安田善次郎】 第三章 飛躍のドイツ留学 (12) 四分の一天引き貯金静六は帝国大学の助教授になった二十五歳の時、人生計画を次のように定めた。 四十までは勤倹貯蓄、一途に奮闘努力して一身一家の独立安定の基礎を築く。六十までは専心究学、大学教授の職務を通じてもっぱら学問のため国家社会のために働き抜く。七十まではお礼奉公、七十からは山紫水明の温泉郷で晴耕雨読の楽隠居。 彼は「良き人生は良き人生計画にはじまる」と語り、自著『人生計画の立て方』の中で、

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #27
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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #27

前回はこちら↓ 【早稲田大学の前身東京専門学校のまわりの風景】 第三章 飛躍のドイツ留学 (11) 早稲田大学と実業之日本社・増田義一静六は帝国大学の講義だけでも大変であったにもかかわらず、大隈重信の依頼により、東京専門学校課外(科外)授業の講師を引き受けている。 明治十四年の政変で下野した大隈がその翌年に設立したこの学校は、いの一番に政治経済学部を設けたこともあって反政府勢力の養成機関と見なされ、ことあるごとに政府からの圧力を受けていた。明治三十五年(一九〇二)に早稲田

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #26
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前回はこちら↓ 【助教授時代の本多静六】 第三章 飛躍のドイツ留学 (10) 日本最初の林学博士 静六が留学中の明治二十三年(一八九〇)六月、東京農林学校は所管が農商務省から文部省に移り、帝国大学農科大学となっていた。 そして明治二十五年(一八九二)五月末にドイツから帰国した静六は、七月二十六日付で帝国大学農科大学助教授に就任。高等官七等従七位に任じられた。 彼が幼い頃憧れた〝お役人〟に、ついになることができたのである。 当時の役人は勅任官、奏任官、判任官と分かれており、

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #25

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前回はこちら↓ 第三章 飛躍のドイツ留学 (9) ドクトル・ホンダの凱旋あとは学位授与式を待つばかり。それは社会的地位の高さにふさわしく厳粛な式典で、新たにドクトルとなる者は時事問題についての演説を行うのが慣例だ。 あくまで儀式だが、日本という国を背負っているという気概の静六にとって、恥ずかしいものにはできない。 加えて、現地の新聞に次のような広告が出た。 〈今回、日本留学生本多静六君がドクトルの論文と口述試験等に合格した。そこで三月一〇日、ミュンヘン大学の大講堂において

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #24

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #24

前回はこちら↓ 第三章 飛躍のドイツ留学 (8) 切腹も覚悟した学位試験本多家からの仕送りを期待できなくなった静六は生活費を切り詰めるだけでなく、なんとか留学を早めに切り上げられないかと思案しはじめる。かと言って博士号も諦めたくない。 そんな静六に同情してくれたウェーベル教授は、まだ二年もしないうちにドクトルの試験を受けてみよと勧めてくれた。 勇気百倍である。そして徹底的に学習の効率化を考えた。 教室では教師の一言一句も聞き逃すまいと、一番前の真ん中に陣取ってノートを取った

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #23

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #23

前回はこちら↓ 【若い日本人留学生たち。勉強の合間にピクニック】 第三章 飛躍のドイツ留学 (7) 若さを持て余す二人後藤からドイツ語を教えてくれと頼まれた静六だが、必死に勉強している彼にそんな時間があるはずがない。 ほかの日本留学生に頼めと言うと、 「ブレンターノ博士の講義の内容も聞きたいから、ほかの日本人ではダメだ」 と好き勝手なことを言う。 それでも人のいい静六は、 「毎晩九時頃僕のところへ来れば、一時間ずつ教えてあげよう」 と請け負って、まずは順序としてドイツ文法

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #22

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #22

前回はこちら↓ 【関東大震災から東京を復興させた男 後藤新平】 第三章 飛躍のドイツ留学 (6) 後藤新平との出会い静六がミュンヘン大学で博士号(ドクトル)に挑戦していた頃のこと、ふらっと一人の日本人が彼の前に現われた。それが後藤新平だった。 台湾総督府民政長官、南満州鉄道(満鉄)初代総裁、逓信、内務、外務大臣、東京市長などを歴任し、実行力もあったが、なにしろ言うことが日本人離れしたスケールなもので〝大風呂敷〟というあだ名がついた政治家だ。 関東大震災の翌日に内務大臣兼帝

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #21

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #21

前回はこちら↓ 【造林学の権威 ミュンヘン大学総長カール・ガイアー】 第三章 飛躍のドイツ留学 (5) ミュンヘン大学入学後に訪れた試練静六は、ドイツでたまたま目にした日本の新聞記事の中に銓子の名前を発見して思わず胸が熱くなった。 〈久し振りで日本の新聞を読んだ。中でも感動の深かったのは、わが最愛なる妻の名があったことで、五月一日及び三日の両紙に診療時間改正の広告があったことである〉 (明治二三年六月十五日付『洋行日誌』) 静六の留学中、銓子は新堀町の自宅に診療所を開

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