ひふみラボ note

投資信託「ひふみ」を運用するレオス・キャピタルワークスの公式noteです。ちょっととっつきにくいと思われがちな「投資」のこと、「お金」のこと。本当の楽しさ、おもしろさを伝えたくて、あれこれ研究していきます。金融商品取引法に基づく表示等 https://bit.ly/2On4z9V

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投資信託「ひふみ」を運用するレオス・キャピタルワークスの公式noteです。ちょっととっつきにくいと思われがちな「投資」のこと、「お金」のこと。本当の楽しさ、おもしろさを伝えたくて、あれこれ研究していきます。金融商品取引法に基づく表示等 https://bit.ly/2On4z9V

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    投資家と考える10歳からのお金の話

    レオス・キャピタルワークス株式会社 ひふみ金融経済教育ラボ,遠田 おと,伊藤 和人(seesaw.)

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【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #09

私たちは、もっと「お金」の話がしたいー投資の話をする前に知りたいことー

【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #08

【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #07

【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #06

【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #05

【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #09

前回はこちら↓ 第九回 父に続き、母をも失う金次郎は朝は暗いうちから早起きして田畑の世話をし、夜は草鞋(わらじ)作りをして一家四人の生計を支えようとした。だが父利右衛門のいなくなった穴を埋めるには至らない。 そのうち、食べるものにも事欠くようになっていった。 利右衛門が亡くなって三ヵ月ほどが過ぎ、享和元(一八〇一)年の正月がやってきた。年始には神楽(かぐら)が家々をまわることになっている。 その年も神楽の笛の音が近くまでやってきた。 「神楽が来たけど、一体どうすればいいの

私たちは、もっと「お金」の話がしたいー投資の話をする前に知りたいことー

お金のことを知らずに良い投資はできない、そんな想いから1冊の本が生まれました。今回は書籍『投資家と考える10歳からのお金の話』を紹介するとともに、なぜいまお金の教育が必要なのかを全3回にわたりレオスメンバーと考えてみます。 お金とは何かを考えようとすると、いったいどこから考えてよいかわからないほど、歴史も長く、国によって地域によって、さらに個人によっても様々な考えがあり、簡単には答えが出ないことが想像できます。 そうした中でも今日は、お金ってけっこうポジティブな可能性を持

【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #08

前回はこちら↓ 第八回 父利右衛門の死寛政一一(一七九九)年、金次郎は満一二歳になっていた。この年、三男の富次郎(とみじろう)が生まれている。母よしは乳をやらねばならない。ちゃんと乳が出るよう滋養のあるものを食べてもらわねばと、金次郎は農作業に精を出す一方、近所の子守なども積極的に買って出た。 ある日、松の苗(なえ)を売っている老人が、通りがかりの金次郎に声をかけてきた。 「ちょっとお前さん、松の苗を買わんかね?」 「生憎うちは貧乏なのです。もっと金持ちの家に売っては如何で

【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #07

前回はこちら↓ 第七回 栴檀は双葉より芳しある日、道仙がいつものように診察に行くと、金次郎が土間でせっせと草鞋を編んでいる。 「精が出るのう。それだけ編めば四、五日分の食事にはなるじゃろう」 ところが金次郎の口からは驚くような言葉が返ってきた。 「いいえ。私は幼く、堤の工事でお役に立てておりませんので、皆さんに使っていただくための草鞋を編んでおるのです」 (年端もいかぬ子どもが、そんなことを考えていたとは!) 道仙は感じ入った。 だが金次郎の考えは道仙の想像を超えていた。彼

【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #06

前回はこちら↓ 第六回 病床に伏した父利右衛門口減らしとして、弟の友吉は寺に出された(しばらくすると寺の厳しい生活に耐えきれず逃げ出してくるのだが)。 利右衛門は好きな酒も断って荒れ地を耕し、よしは石ころをのけ、金次郎は草むしりをしたり草鞋(わらじ)を編んだりと、幼いながら家の手伝いをした。弟の子守のついでに近所の子どもの子守も買って出て駄賃をもらったりした。 この〝駄賃をもらう〟という体験は、彼の現金収入を大事にする生き方に結びついており、後にこう語っている。 学問にも

【北康利連載】二宮尊徳~世界に誇るべき偉人の生涯~ #05

前回はこちら↓ 第五回 酒匂川の洪水金次郎が生まれた頃の二宮家は、二町三反(一町は約一ヘクタール)の田畑を持つ、そこそこ裕福な農家であった。 祖父銀右衛門の兄万兵衛(まんべえ)(当主は代々万兵衛を名乗った)は栢山(かやま)村の組頭を務めるほどのやり手であったが、分家させてもらった弟の銀右衛門も兄同様才覚があり、質素倹約に努め、少しずつ田畑を買い集めて一財産を築いた。 そして生涯結婚しなかった銀右衛門のところに、万兵衛の次男だった金次郎の父利右衛門が養子に入ったというわけだ。