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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝

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第14回山本七平賞を受賞され、100年経営の会顧問や、日本将棋連盟アドバイザーなど、多方面でご活躍されている作家・北康利先生による新連載企画です。 日本林学の父、公園の父と呼ば… もっと読む
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#本多静六

【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #72

前回はこちら↓ 最終章 若者にエールを送り続けて (5) 『私の財産告白』 人生計画の最終章に到達し、計画通り晴耕雨読の隠居生活を楽しむはずであった。ところが、楽隠居が必ずしも〝楽〟でないことがわかったのだ。 八〇歳近くになったが、頭も体も少しも衰えたという自覚はなく、六〇歳の頃と少しも変わらない。これは人生計画を再度立案し直す必要があるのではと思い至った。そこで以前のものを旧人生計画と呼び、新人生計画を練り直し始めた。 その結果がこうだ。 八五歳までの二〇年間をお礼奉公

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #71

前回はこちら↓ 最終章 若者にエールを送り続けて (4) 希望を失うことなく そして迎えた敗戦。八月一一日に七九歳を迎えたばかりであった。 幸いにも渋谷の家は戦火を免れ、伊東の歓光荘も無事であった。 だが戦時中から続いていた食糧不足は一層深刻になり、猛烈なインフレが来襲する。 物資は闇市に行かなければ買えないという混乱の中、それでも静六は博夫婦に頼ることなく伊東で頑張っていた。静六の言葉に〝独立自強〟というのがある。他人の厄介にならず独立生活してゆく人のことである。晩年ま

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #70

前回はこちら↓ 最終章 若者にエールを送り続けて (3) 晴耕雨読の楽隠居 昭和の初め頃から、戦時色が日に日に濃くなっていく。 そして昭和一六年(一九四一)一二月八日、ついに太平洋戦争の火蓋が切られた。 有名な〝欲しがりません勝つまでは〟という標語は、昭和一七年(一九四二)に大東亜戦争開戦一周年を記念し、「国民決意の標語」として大政翼賛会と新聞社が募集した三二万点のうちの入選作である。  資源の少ないわが国では、開戦と同時に極度の耐乏生活が求められていた。 そこで軍部は静

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #69

前回はこちら↓ 最終章 若者にエールを送り続けて (2) 本多静六博士奨学金制度 四分の一天引き貯金を始めて三五年が経過した六〇歳頃には、貯金、株式等の他に山林が一万町歩余り、貸家を含む住宅と別荘六ヵ所という、現在価値にして五〇〇億円は下らないであろう資産を形成するに至った。 だが物事は度をすぎると必ずそこに問題が生じてくる。 そもそも財産が一〇〇兆円にもなるかと言えばそうは問屋が卸さない。どんな国でも、その国の富を少人数の手に握らせておくようなことは許さないからだ。彼

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #68

前回はこちら↓ 最終章 若者にエールを送り続けて (1) 優秀な子や孫たち 静六の人生は順風満帆、向かうところ敵なしの快進撃のように見える。しかし人生に哀しみの翳(かげ)を持たない人間などいない。彼もまたそうであった。 人生で最大の不幸の一つは、わが子を失うことだろう。三男四女をもうけた本多夫妻だったが、次女の美祢子を数え三歳で、次男の武を数え五歳で亡くし、おそらく日露戦争勃発の月に生まれたので勝と名付けられたであろう三男も、一旦は關(せき)イシという人のところに養子に出た

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #67

前回はこちら↓ 第五章 人生即努力、努力即幸福 (13) 四分の一天引き貯金余話静六の家族にしても弟子たちにしても、静六の没後、いの一番に彼の思い出としてあがるのが四分の一天引き貯金にまつわる苦労話であった。 この話が出ると彼らの表情はきらきらし、自分がいかにこれで苦労したかをとうとうと披露し合う。するとそこになんともいえない一体感が生まれ、皆うんうんとうなずきながら故人を偲ぶというのが常であった。 銓子は見事耐え抜いたが、大変だったのが彼を学問の師と仰ぐ弟子とその奥方だ。

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #66

前回はこちら↓ 第五章 人生即努力、努力即幸福 (12) 職業の道楽化静六は〝計画はいかにそれが上出来であっても、計画にとどまるうちは無価値である〟と語っているが、見事なくらい二五歳の時に立てた人生計画通りに生きてきた。 実はそこには秘訣があったのだ。あくまでも楽しくやることである。 計画を立てるだけでなく、時折振り返り、計画通りかどうか一喜一憂しながら、それをまるでゲームのように楽しみながら生きていた。楽しくなければ長続きはしない。続けることが大きな成果につながる。これこ

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #65

前回はこちら↓ 【上高地】 第五章 人生即努力、努力即幸福 (11) 国立公園協会そもそも森林は、林業のような経済面や防雪や水源のような機能面のみならず、風景美で人々の心を癒すという重要な役割を持っている。そのため静六は知らず知らずのうちに〝風景専門家〟として認知されていく。 大正二年(一九一三)四月の深夜、突然本多邸を訪れてきた二人の人物がいた。 宇治川電気(現在の関西電力)の技師長である石黒五十二(いそじ)と営業課長の林安繁(やすしげ)(後の宇治川電気社長)である。

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #64

前回はこちら↓ 【三井物産社長・益田孝】 第五章 人生即努力、努力即幸福 (10) 帝国森林会大日本山林会は、東京山林学校を設立した初代校長の松野礀が奔走し、林業の改良と進歩を目的として明治一五年(一八八二)に立ち上げた組織である。 そして実務レベルで会の運営を担い、会報の主たる執筆者でもあったのが、川瀬善太郎と静六の二人だった。 余談だが、現在、大日本山林会では会報『山林』をデジタルデータ化し、検索できるよう整備している。試みに本多静六で検索すると三一五件ヒットした。長

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #63

前回はこちら↓ 第五章 人生即努力、努力即幸福 (9) 東京都とイチョウ首賭けイチョウや東大正門のイチョウ並木もそうだが、以前から静六はイチョウという木に思い入れがあった。 ドイツでイチョウはゲーテの有名な恋愛詩「イチョウの葉」にちなみ、しばしば〝ゲーテの木〟と呼ばれている。ゲーテは六六歳の時に二五歳も年下の人妻に恋心を抱き、イチョウの葉とともにこの詩を贈ったのだ。静六が、イチョウを自分のドイツでの甘酸っぱい思い出と重ね合わせていたかどうかは定かではないが…。 帝都復興事

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #62

前回はこちら↓ 【関東大震災】 第五章 人生即努力、努力即幸福 (8) 関東大震災と復興計画首都圏に長く住んでいると、人生で一度か二度、今で言う首都圏直下型地震に遭遇することが運命づけられている。静六にもその時が迫っていた。 当時の記録によれば、大正一二年(一九二三)は、六月頃から中規模の地震が頻発していた。それは来たるべき大地震の予兆だったのだ。 そして運命の九月一日がやってくる。 その日は朝から、重苦しい雨雲が東京の空を覆っていた。時計が午前一一時五八分を指し、人々が

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #61

前回はこちら↓ 【本多静六と銓子夫妻】 第五章 人生即努力、努力即幸福 (7) 銓子の死ある日、銓子が静六に折り入って相談があると言ってきた。 「この間、以前世話をした苦学生がやって来まして、肋膜炎で二、三ヵ月転地療養の必要があると医者に言われたそうなんです。なんとか助けてあげたいので、日光行きのお金を用立ててあげてもよろしいかしら」 〝日光行きのお金〟というのは、銓子がまだ日光に行ったことがないというのを聞いた静六が、 「〝日光を見ずして結構と言うな〟という。お前も〝結

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【北康利連載】若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝 #60

前回はこちら↓ 【安田善次郎翁】 第五章 人生即努力、努力即幸福 (6) 勤倹貯蓄の大先輩・安田善次郎大正一〇年(一九二一)の初秋のこと、静六は安田銀行創設者の安田善次郎を大磯の別邸寿楽庵(じゅらくあん)に訪ねた。 彼にとって安田は憧れの人だ。〝ケチの安田〟と呼ばれるほどの勤倹貯蓄の権化。静六の四分の一天引き貯金も、安田の五分の一天引き貯金を参考にした可能性が高いのではないかということについてはすでに触れた。 この時の訪問の趣旨は、安田邸の庭園を一般に開放してほしいと依頼

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「若者よ、人生に投資せよ 本多静六伝」著者・レオスメンバー座談会 (4)

前回(第3回座談会)はこちら↓ ================================== 本編 ――今回も第4回座談会にご参加いただきましてありがとうございます。参加者は前回と同じく本連載の作者である北康利先生、レオス・キャピタルワークス株式戦略部のシニア・ファンドマネージャー八尾 尚志、シニア・アナリスト小野 頌太郎の3名でお送りいたします。 第三章までは静六の家庭環境や成長の過程にスポットが当てられていましたが、第四章では大学を卒業して社会人となり、いよ

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