前回はこちら↓ 【緑に溢れる現在の大菩薩嶺】 第四章 緑の力で国を支える (10) 東京の水道事業と奥多摩水源林(後編)水源林予定地は手に入った。 明治三六年(一九〇三)、まずは多摩川源流の泉水谷(いずみたに)(山梨県丹波山村)に派出所を設け、はげ山(無立木地)となっている周辺一帯に針葉樹を植栽していく計画を立てた。 このあたりの地質は風化した花崗岩で地味がやせ、海抜一二〇〇メートル以上の厳しい寒冷地でもあるため環境は劣悪だった。それでも静六は果敢に挑戦し、後にこの事業が
こんにちは、ひふみラボ編集部です。 気が付けば2021年もあと少しとなりました。年(歳?)を重ねるにつれて、時間の流れが早く感じるようになったのは私だけでしょうか。皆さんにとって、2021年度はどんな1年になりましたか? さて、前回ご紹介した高校生模擬起業グランプリ「リアビズ」について第2回目をお伝えします。 ↓前回の記事はこちらから 全チームが11月に商品の販売を終了し、企業活動の締めとして決算報告の作成に移行しました。財務諸表の作成に加え、企業活動の振り返りに突入
「偉人たちの投資のツボ」の第3回目です。 前回までの記事をご覧下さった方、ありがとうございました。 今回は、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉の「投資のツボ」を探ります。 先日、レオスが運営するYouTubeチャンネル『お金のまなびば!』にこんな動画をアップしました。 この動画では、仕事でチャンスをつかむにはスキルや人脈づくりなどの「見えない資産」が大切であるということをお伝えしているのですが、今回は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉の「見えない資産」について考えてみました。様々な
前回はこちら↓ 【荒廃していた奥多摩の山々】 第四章 緑の力で国を支える (9) 東京の水道事業と奥多摩水源林(前編)東京の水道の歴史は江戸時代にさかのぼり、〝上水の水で産湯をつかい〟というのが江戸っ子の決まり文句だった。当然のことながら現在のように鋳鉄管で給水されていたはずもなく、〝上水〟とは玉川上水のような人工的な水路のことであり、江戸市内に入ったところで一部木管が使われた。 しかもそれは、明治に入ってもしばらくは江戸時代の設備のままだったのである。 やがて多摩川の水
前回はこちら↓ 【足尾銅山】 第四章 緑の力で国を支える (8) 足尾銅山鉱毒事件明治日本の急速な経済発展は、社会に大きなひずみをもたらしはじめていた。 その一つが公害問題である。ほとんど規制のなかった当時、工場による空気汚染や河川汚染が進んだが、殖産興業を優先する政府は目をつむる傾向があった。 だが、ついに無視し得ない事態が出来する。それがわが国の歴史上最初の公害問題とされる足尾銅山鉱毒事件であった。 一七世紀後半から一八世紀前半まで、日本は銅の産出量世界一を誇っていた
前回はこちら↓ 第四章 緑の力で国を支える (7) 木曽山林学校明治三三年(一九〇〇)、静六はようやく教授に昇格する。 帝国大学農科大学林学科の陣容は第一講座(森林利用学)の初代教授が河合鈰太郎、第二講座(造林学)初代教授が本多静六、第三講座(林政学)初代教授が川瀬善太郎と、すべて同級生が占めることとなった。 助教授就任から教授就任まで八年もかかったのはこの陣立てを整えるためだったとも言えるが、何でも最短コースを走ろうとする彼には相当なストレスだったに違いない。もっとも、対