前回はこちら↓ 【本多静六、一八九〇年四月二九日にマルセイユに到着】 第三章 飛躍のドイツ留学 (2)三等船室での渡航明治二三年(一八九〇)三月二三日、この日は、前夜来の雨もあがって晴れ渡り、早くも咲き始めた芝公園の桜が青空に映えて美しかった。待ちに待った留学の日。静六の胸の高鳴りがいかばかりのものであったかは想像に難くない。 午前五時半、芝区新堀町の自宅を出て新橋駅へと向かった。 駅には松野先生以下の学校関係者、島邨家で幾何を教わった細井均先生など、多くの見送りの人が集
バンドマンで投資家のヤマザキOKコンピュータさん(ヤマコンさん)による連載第5回です! 今回のテーマはコンシューマーアクティビズムについてです。 私たちが日ごろ何気なく行っている消費行動について、ヤマコンさんとともに考えてみましょう! *** 友達の友達から頂いたオンボロのスクーターを直しに直して何とかここまで暮らしてきたが、乗っている最中にバキョンと聞こえて後輪の空気が全部抜けた。このスクーター、錆びることができる部分は全部錆びていて、押しても引いてもキイキイ鳴く。
前回はこちら↓ 【本多静六を支えた妻銓子】 第三章 飛躍のドイツ留学 (1)強引な卒業二人が結婚した明治二二年(一八八九)当時、銓子は東京慈恵会病院の産婦人科、婦人科助手として隔日に半日ずつと、横浜のフェリスセミナリー(現在のフェリス女学院)で週二時間ずつ生理学の講義に行っていた。 それでも、いつも早く帰って来てご馳走を作り、静六の帰宅を待っていてくれた。 銓子の献身は当時の価値観で言えば、まさに〝妻の鑑(かがみ)〟であった。 銓子の蔵書が本多静六記念館に収蔵されているが
前回(第1回座談会)はこちら↓ ================================== 本編――今回も第2回座談会にご参加いただきましてありがとうございます。参加者は前回と同じく本連載の作者である北康利先生、レオス・キャピタルワークス株式戦略部のシニア・ファンドマネージャー八尾 尚志、シニア・アナリスト小野 頌太郎の3名でお送りいたします。 先週公開した第16回をもって、遂に第二章が完結となりました。第二章では静六の学生時代のエピソードを中心に書かれ、静六
こんにちは。 「ひふみラボ」編集部の白水です。 7月25日より、当社が特別協賛をつとめる将棋の八大タイトルの一つ「第六期叡王(えいおう)戦」の五番勝負が始まります。 全棋士の段位別予選と本戦を勝ち抜いた藤井聡太王位・棋聖が、豊島将之叡王に挑戦する五番勝負を行ない、先に3勝した棋士が「叡王」の称号を獲得します。 当社の代表取締役会長兼社長の藤野(アマ六段)に叡王戦のみどころを聞いてみました。 叡王戦は、今将棋界で最も強いと言われている藤井二冠と豊島叡王の頂上決戦です。勝
前回はこちら↓ 【伊豆天城山 宵の月】 第二章 暗い井戸の底をのぞき込んだ日 (9)折原静六から本多静六へ静六が残した名言の中に〝三度辞して従わぬは礼にあらず〟というのがある。遠慮するのも二度まではいいが三度以上になれば相手を不愉快にさせ社交上も無益であるというのである。 だがさすがに縁談となると話は別らしく、極めて往生際が悪かった。 「卒業後、ドイツに四年間留学させるという条件を出してみてください」 追い詰められた静六は島邨夫人にそうお願いした。 縁談を断る方便のつもり