前回はこちら↓ 第四回 暴れ川と飢饉との戦い金次郎が生まれた天明七年という年は、十一代将軍徳川家斉(いえなり)が就任し、前年に罷免になった田沼意次(たむらおきつぐ)に代わって松平定信(まつひらさだのぶ)が幕政の立て直しに着手している。いわゆる寛政の改革である。幕政が順調なら改革など不要なわけで、度重なる飢饉の前にはなすすべがなかった。金次郎が生きた時代は、幕藩体制が次第に揺らいでいく過程でもあったのだ。 当時は運悪く、全世界的に火山活動も活発になっていた。 天明三(一七八
前回はこちら↓ 第三回 二宮金〝治〟郎誕生二宮金次郎は天明七(一七八七)年七月二三日の朝、小田原藩の相模国足柄上郡栢山(かやま)村(現在の神奈川県小田原市栢山)で、父二宮利右衛門、母好(よし)(以下よし)の長男として生まれた。傑物であった祖父銀右衛門を越えるようにと、金治郎と名付けられた(先述した通り、この後は金次郎とする)。 よしの旧姓は川久保。足柄上郡曽我別所村組頭(そがべっしょくみがしら)(名主の補佐役)太兵衛の娘である。利右衛門より一四歳離れており、長男の金次郎を
レオスが特別協賛を務める第9期叡王戦五番勝負が4/7(日)にはじまりました。 藤井聡太叡王に対し挑戦者となったのは同学年の伊藤匠七段、竜王戦、棋王戦に続く藤井八冠への挑戦となります。 両対局者の将棋への純粋な想い 対局前日の夜は関係者での食事会が行なわれ、そこでは藤井叡王、伊藤七段による挨拶の場も設けられています。お二人とも21歳とは思えない堂々としたお話しぶりでしたが、特に印象に残ったのはお二人の将棋にかける想いの強さと純粋さでした。 藤井八冠の誕生でますます将
前回はこちら↓ 第二回 ねじ曲げられた真実明治維新後、彼の評価は一転する。 富国強兵殖産興業の大号令がかかったこともあって、急にもてはやされ始めたのだ。 農商務大臣の井上(いのうえ)馨(かおる)は、何かというと二宮尊徳を引き合いに出して持ち上げた。盟友だった渋沢栄一が尊徳のことをことのほか尊敬していたからである。修身の教科書にも登場するようになり、全国に彼の銅像が建てられ、多くの人々からの崇敬を集めた。 渋沢栄一のみならず、安田善次郎(みずほ銀行の祖)、伊庭貞剛(住友グルー
突然ですが、皆さんはお子さんと一緒にコンビニにお買い物に行きますか。その時、お子さんとはどんな会話をしますか?また、じっくりと商品が並ぶ棚を見たことがあるでしょうか。 私たちレオス・キャピタルワークスは投資家として、多くの方からお預かりしたお金を成長が見込める企業に投資します。 お客様からお預かりしている大切なお金ですから、投資する前に、その企業がしっかりと利益を出して成長できるかどうか、徹底した調査を行ないます。 「投資家の企業調査」と聞くと、たくさんの数字や報告書をチ
こんにちは。ひふみラボ編集部です。 前回、大好評だった本多静六伝に引き続き、作家・北康利先生による、二宮尊徳氏の連載小説をひふみラボnoteでスタートします! こちらは毎週金曜日に更新していく予定です。 皆様もぜひ、お読みいただいた感想をnoteのコメント、FacebookやX(Twitter)などのSNSでシェアしてくださいね。 第一回 自らは報われずともプロローグ 二宮尊徳(にのみやそんとく)の墓所は、彼の終焉の地である日光の報徳二宮神社社殿の裏にある。鬱蒼(うっそう