前回はこちら↓ 第二二回 桜町仕法の成功を神仏に祈って当時の譜代大名の領地にはしばしば〝飛び地〟と言って、主たる領地と離れたところに小さな領地があり、みなその運営に苦労していた。小田原藩も下野国(しもつけのくに)(現在の栃木県)の桜町に飛び地を持っていたのだ。 桜町領は〝桜町三ヵ村〟と呼ばれ、物井(ものい)・横田・東沼(ひがしぬま)の三つの村(いずれも現在の栃木県真岡市の一部)からなっている。小田原藩にとって支藩のようなものであり、この頃の領主は宇津釩之助(うつはんのすけ)
前回はこちら↓ 第二一回 徳を作る改正枡の使用開始に続き、金次郎が建議した藩士向け五常講もはじまった。 基金として藩主から江戸在住者に五〇〇両、小田原在住者に一〇〇〇両が下賜され、他に出資者を募ると、その額はあわせて五〇〇〇両にのぼった。十分の金額だ。 こうして文政三(一八二〇)年一二月から貸付けが始められた。 小田原在住者への下賜金のうち、七〇〇両は八朱の利息(現在で言う八パーセント)を取ったが、三〇〇両は極貧の者に貸し、そのうち一〇〇両は無利息として、一人一両から三両ま
前回はこちら↓ 第二〇回 酒匂川河原での表彰酒匂川での表彰は、老中就任のため江戸に向かう途中の出来事であった。 文政元年一一月、酒匂川の河原に、孝子(親孝行な者)一名、出精奇特人(しゅっせいきとくにん)(ことのほかよく働いた者)一二名を集めて表彰を行った。 その出精奇特人の筆頭が金次郎であった。選出する関係者に二宮一族の者が加わっており、生家の復興などが評価された結果だった。 「酒匂川表彰の図」という、この時の情景を描いた絵が残されている。貴人は顔を見せない。駕籠(かご)の
このマンガは、意外と知らないあるモノの始まりや起源について紹介するシリーズです。 身近なものや今では当たり前に存在するものでも、歴史を遡ってみれば誰かが発見したり、発明したものだとわかります。そうした人々の創意工夫や、実現させるまでの困難な出来事を知ることは、もしかすると未来を創造するヒントにつながるかもしれません。 投資信託の会社で働くキャラクターと一緒に、いろんなモノの「はじまり」を探しに行きましょう! 登場人物 第1話 株式会社のはじまり 音声付きの動画はこちらで
前回はこちら↓ 第一九回 きのの離縁と波との再婚乳幼児死亡率の高かった当時のこと、生まれて間もない子どもの死は珍しくなかったが、このことはきのを絶望のどん底に叩き落とした。怒りや恨みの矛先は、家のことをないがしろにしている金次郎に向かった。 もう無理だと心折れてしまったきのは、 「私は二宮家の家風にはあいません。どうぞ離縁にしてください」 と申し出てきた。 (なんと私は、自分の足下が見えていなかったのか…) 金次郎は生涯でこれほど反省したことはなかった。考えてみれば結婚以
前回はこちら↓ 第一八回 金次郎の大失敗文化一五・文政元(一八一八)年三月、再び金次郎は服部家に住み込んで財政再建計画を実行に移すこととなる。服部家の若党になった日から六年の歳月が過ぎていた。 「向こう五年間、私の申し上げることに従っていただくということでよろしいですね」 「もちろんじゃ。林蔵に全てを委ねよう」 「まずはお着物からして、内向きは木綿にしていただきます」 「わ…わかった」 こうして主人の言質を取った上で、使用人たちを全員呼び集めた。 「この度、ご主人様は私に服